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日本の送電網 — 山脈を越えた9万kmの電線と、130年前の選択が残した傷

送電線9万km。鉄塔24万基。電柱3,592万本。送電ロス率5%。

地球を2周する送電線が、日本の山脈を越え、海峡をくぐり、発電所と家庭をつなぐ。その大半は人の目に触れない山の中にある。標高2,000mの尾根に立つ鉄塔、吹雪の中で電線を張るラインマン、崖の上でコンクリートを打つ基礎工事。見えないインフラを見えない人たちが作った。

Mission:山に水、街に人

日本の電力は山で生まれ、街で消える。

明治時代、電力の主力は水力発電だった。急峻な山に大量の雨が降り、落差のある川を流れ落ちる。その位置エネルギーを電気に変えた。だが電気を使う人間は平野部の都市に住んでいる。水力発電所と電力消費地のあいだには、山脈がある。

1887年、東京電燈が日本初の火力発電所を稼働させた。南茅場町、25kW、直流210V。電球をともす程度の電力だった。2年後、大阪電燈が日本初の交流発送電を開始。1891年には琵琶湖疏水を利用した蹴上発電所が京都で動き始めた。日本初の一般商用水力発電所。

電力需要は膨れ上がっていく。しかし都市に近い水力適地はすぐに枯渇する。もっと奥の山へ、もっと高い場所へ、発電所を建てなければならない。そこから何十kmも離れた都市まで、電気を運ばなければならない。

問題は物理だった。電気は距離に比例して失われる。低い電圧のまま長距離を送れば、届く頃には大半が熱として消える。高い電圧で送れば損失は減る。だが高電圧の送電には、大型の鉄塔と高性能の碍子が必要になる。山を越えるルートに、何百基もの鉄塔を建てなければならない。

日本の送電網は、この「山に電気を作り、街に電気を届ける」という一点から始まった。

Design:電圧を上げ続けた120年

1899年、福島県の沼上発電所から郡山まで22.5km、11kVの高圧送電が始まった。日本初の長距離送電。同年、広島でも11kV・26kmの送電が行われている。

1907年、本格的な長距離高圧送電が実現した。山梨県の駒橋発電所から東京・早稲田変電所まで55kV、75.6km。木柱3,974本と、アメリカ製鉄塔22基が山梨から東京まで連なった。日露戦争後の石炭価格高騰が、この水力送電を後押しした。石炭が高いなら、水で電気を作って山を越えればいい。

7年後の1914年、猪苗代旧幹線が完成する。猪苗代第一発電所から東京・田端変電所まで115kV、225km。鉄塔1,435基。当時世界第3位の長距離送電線だった。100kV超の送電線はアメリカでも実用化が始まったばかり。

そこから電圧は上がり続けた。

1923年に154kV。1941年に275kV。1973年に500kV運用開始。そして1992年、西群馬幹線が1,000kV設計で完成した。全長137.7km、鉄塔217基、平均鉄塔高さ111m。1相あたり8本の導体を束ねた構造で、世界トップクラスの送電能力を持つ。

ただし1,000kVでの運用は実現していない。電力需要の伸びが鈍化し、500kVのまま走っている。100年かけて電圧を200倍に引き上げた技術が、需要予測の外れによって眠っている。

Execution:鉄塔を山頂に建てる人たち

送電鉄塔の建設は5つの工程で進む。調査・ルート選定、仮設工事・資材搬入、基礎工事、鉄塔組立、架線工事。山間部30基の鉄塔に4年の工期がかかる。

ルート選定。起点と終点を直線で結び、20万分の1地形図で机上調査する。航空写真を撮り、立体鏡で地形を読む。自然公園、保安林、農地。法的規制を避け、地形の起伏が少ない尾根を選ぶ。山岳地では観測鉄塔を建て、何年もかけて着氷雪の状況を観測することもある。

資材搬入。車が入れる場所はトラック。入れない場所は索道。荷物専用のロープウェイを仮設する。それも使えなければヘリコプター。コンクリートをヘリで空輸する現場もある。それでも届かない場所は人が背負う。

基礎工事。山岳地では「深礎基礎」が使われる。大型鉄塔の基礎は深さ数十mに達する。ミリ単位の微調整で鉄脚を据える。

鉄塔組立。クレーンが使えない山間部では「台棒工法」や「クライミングクレーン工法」が採用される。台棒工法は長さ15mほどの棒を鉄塔主柱に取りつけ、ワイヤロープで部材を吊り上げる。最終的にはラインマンがレンチで手作業でボルトを締める。高さ100mの鉄骨の上で。

架線工事が仕上げだ。

ヘリコプターが軽いナイロンロープを鉄塔間に張り渡す。ラインマンが100mを超える鉄塔の頂上に自力で登り、ヘリから垂れ下がるロープをキャッチする。所要時間は1基あたり約3分。ナイロンロープを細径ワイヤに引き替え、細径を太径に替え、最終的に電線を毎分約40mの速度で延線する。3~5kmを1区間として、この作業を繰り返す。

最後の緊線工事。電線に設計上の弛みを持たせ、碍子に固定する。電線の長さが1cm違えば弛み幅が大きく変わる。ラインマンの技術と経験と勘が問われる。

全国のラインマンは約46,000人。地上150mが職場。感電、墜落、落下物。三重の危険と隣り合わせで働く。超高圧電線は触れなくても、近づくだけで感電する。

過去10年で年間平均3人が死亡し、16人が負傷している。

黒部川第四発電所の建設では、171名が命を落とした。転落60名、落盤49名、車両事故31名、雪崩等31名。総工費513億円。関西電力の当時の資本金の5倍。延べ1,000万人。世界銀行から3,700万ドルの融資を受けた。

計画工期7年。実績も7年。1956年8月着工、1963年6月竣工。大町トンネルで破砕帯に遭遇し7ヶ月間足止めされ、1959年のマルパッセダム決壊事故を受けて設計変更を余儀なくされ、世界銀行とダム高さをめぐって2年間協議した。それでも当初計画の工程を守り切った。必要な調査の10〜15%しか終わっていない段階で着工を決断した太田垣社長の判断は、関西の電力不足という切迫した事情が背景にある。

それ以前の黒部第三発電所では、岩盤温度166度の高熱地帯でトンネルを掘った。ダイナマイトが自然発火し、泡雪崩が宿舎を押し潰した。殉職者300名超。吉村昭が『高熱隧道』で記録している。

現代でも山岳地の送電線建設には時間がかかる。2021年に運転を開始した飛騨信濃直流幹線は、標高700〜1,800mの山岳地を89km走り、鉄塔197基。標準的な工期は11年と見積もられていたが、経済産業大臣から「重要送電設備等の指定」の第1号を受け、4年で完成させた。積雪で冬季は中断し、猛禽類の繁殖期にも工事を止めた。それでも4年。東西の電力融通という国策が、11年の工程を4年に圧縮した。

電気は生活の前提だが、その前提を物理的に作った人間の犠牲は、送電線と一緒に見えない場所に隠れている。

People:電力の鬼と電力王

松永安左エ門。1875年、長崎県壱岐島生まれ。慶応義塾で福沢諭吉に学んだ。

東邦電力を主宰し、約100社の電力会社を傘下に収めた。日本の電力業界を一人で動かしていた時代がある。

1938年、電力国家管理法が国会を通過した。全国の発送電設備を国策会社・日本発送電に統合する法律。松永は激しく反対した。「官僚は人間のクズである」。聞き入れられず、すべての事業から身を引いた。

13年後の1951年、松永は復帰する。GHQに直接足を運び、日本発送電の解体と9電力会社体制の実現を説いた。76歳。電力料金値上げの必要性を主張し、国民から「電力の鬼」と呼ばれた。黒部ダムの建設現場を視察している。

叙勲の打診には「人間の値打ちを人間が決めるとは何ごとか」と激昂して辞退した。茶人としても「近代の三茶人」に数えられる。95歳まで生きた。

福沢桃介。1868年生まれ。福澤諭吉の娘婿で「電力王」と呼ばれた。

大正8年から15年にかけて木曽川に7つの発電所を建設した。1924年、日本初のダム式発電所「大井発電所」を完成させている。大同電力を主宰し、「一河川一会社主義」のもと木曽川水系を一元的に開発した。木曽川の電力は高圧送電線で大阪に送られた。山の電気を200km離れた大都市に届ける。この構図が日本の送電網の原型になった。

関東大震災の後、桃介は2,500万ドルの外債を調達した。民間電力会社として初の外債導入。50Hzと60Hzの両方を発電できる桃山発電所を建設し、震災後の関東への電力融通を可能にした。

小平浪平。1874年、栃木県生まれ。東京帝大電気工学科を出て、広島水力電気に就職した後、東京電灯に送電主任として入った。

送電の現場で外国製の電気機械に頼り切る現実に直面し、国産化を決意した。1910年、国産初の5馬力誘導電動機を完成させる。これが日立製作所の創業になった。送電インフラの現場経験が、日本を代表する電機メーカーの原点だった。

Legacy:130年前の選択

日本の送電網には傷がある。東が50Hz、西が60Hzという周波数の分断だ。

明治時代、東京電燈はドイツ製の50Hz発電機を、大阪電燈はアメリカ製の60Hz発電機を購入した。それぞれの地域で発電所が増え、送電網が広がり、50Hzの東日本と60Hzの西日本が固定された。統一のタイミングは何度もあった。だが既存設備の置き換えコストが常に統一コストを上回り、先送りされ続けた。

2011年、東日本大震災。福島第一原発が停止し、東日本は深刻な電力不足に陥った。西日本には余力があった。だが周波数が違うため、大量の電力を融通できなかった。変換容量は当時120万kW。東京電力管内のピーク需要の2%にすぎない。

130年前の発電機の購入先が、震災時の電力供給を制約した。

現在、佐久間・新信濃・東清水・飛騨信濃の4箇所に周波数変換所がある。合計容量は210万kW。300万kWへの増強が2027年度末を目標に進んでいる。周波数そのものの統一には約10兆円かかると試算されており、現実的ではない。

送電網のもう一つの課題は「串だんご」構造だ。日本の電力系統は各電力会社のエリアが縦に並び、細い連系線でつながっている。ヨーロッパの網目状の送電網と比べて融通性が低い。島国であるため隣国との連系もない。

再生可能エネルギーがこの構造を直撃している。風力の適地は北海道と東北に集中するが、電力の大消費地は東京と大阪。既存の送電線は原発と火力発電所からの送電を前提に設計されており、再エネの接続枠が足りない。2050年までの送電網整備に6~7兆円の投資が計画されている。

2019年、台風15号が千葉県を襲った。君津市で275kV送電鉄塔2基が倒壊し、約93万軒が停電した。完全復旧まで約2週間。1960~70年代に建てられた鉄塔の多くが築50年を超えている。24万基の鉄塔の老朽化が、次の台風で試される。

送電鉄塔1基の建設費は約4,261万円。66kV級、最も安い部類でこの価格だ。500kV級はさらに高い。24万基を建て替えるコストは、計算したくない数字になる。

学び

日本の送電網が教えるのは、インフラの初期設計がいかに長く効くかという事実だ。

明治時代の技術者がドイツ製を買うかアメリカ製を買うかで、130年後の災害対応能力が決まった。彼らが悪いわけではない。当時、電力需要は地域ごとに閉じていた。東京の電気と大阪の電気がつながる未来を想定する必要がなかった。だが一度敷かれたインフラの上に次のインフラが積まれ、その上にさらに次のインフラが積まれる。初期の選択を変更するコストは時間とともに指数関数的に増加する。

ソフトウェアの技術的負債と同じ構造だが、スケールが違う。コードのリファクタリングは何百万円の話だ。送電網のリファクタリングは何兆円の話になる。

もう一つ。このプロジェクトには松永安左エ門のような強烈な個人がいた。「官僚は人間のクズ」と言い放ち、電力国家管理に抗い、敗れ、13年後に復帰してGHQを説得し、9電力体制を作った。個人の信念がインフラの形を決めた。

松永の9電力体制が生んだのは、地域ごとの垂直統合型電力会社だった。発電から送電から配電まで一社が担う。効率的だが、地域間の融通は弱くなる。松永が国家管理を嫌い、民間企業の独立を重視した結果、電力会社間の壁ができた。「串だんご」構造の遠因だ。

電力の鬼の信念が、70年後の再エネ時代に制約条件として跳ね返っている。インフラを設計する人間は、自分の設計が何十年後にどんな制約になるかを知ることができない。知ることができないのだから、せめて変更可能性を設計に組み込むことだけが、未来への誠実さになる。

Project Timeline