Execution Atlas
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青函トンネル — 海の底を掘る24年間に、何が起きていたのか

Mission

1954年9月26日、洞爺丸が沈んだ。台風15号が津軽海峡を襲い、青函連絡船5隻が転覆。1,430人が死亡する。日本の海難事故史上最悪の惨事。

津軽海峡を船で渡ることの危うさは、以前から認識されていた。だが1,430人という数字が、議論を計画に変えた。

1964年、海底トンネルの地質調査が始まる。本州と北海道を陸路で繋ぐ。全長53.85km、うち海底部23.3km。水深は最大140mに達する。

海底トンネルを掘った国は、この時点で存在しない。

Design

設計上の問題は単純に聞こえる。津軽海峡の海底を掘り抜けばいい。

だが海底の地質は、掘ってみるまでわからない。

対策として採用されたのが先進ボーリング。本坑の前方、常に1km先の地質を掘削しながら確認する。何が待っているかを知ってから本坑を進める。1981年にはボーリング長2,150mの世界記録を樹立している。

トンネルの構成は3本。本坑に加え、作業坑と先進導坑を並行して掘り進める。作業坑は資材搬入と排水に使い、先進導坑は地質確認と湧水の早期発見に使う。本坑だけを掘るのではなく、本坑を安全に掘るためのトンネルを先に掘る。

この設計思想が、後に2度のトンネル水没を生存可能な事故にとどめた。

Execution

1969年、最初の異常出水が起きた。先進導坑が断層にぶつかる。毎分11トンの海水が坑内に流れ込んだ。

断層の位置が判明したことで、本坑のルートを東側にずらす決定がなされた。掘ってみて、避ける。先進導坑がなければ、本坑が直接断層に突き当たっていた。

1976年、2度目の異常出水。今度は毎分85トン。

毎分85トンとは、25mプール1杯分の海水が1分半で坑内に注ぎ込む量。作業坑2,028mが水没した。

止水に使われたのが薬液注入工法。トンネル径の3倍から5倍の範囲に放射状の細孔を穿ち、薬品入りセメントを注入する。周囲の岩盤ごと固めて水を止める。海底で、水圧と闘いながら、岩盤を人工的に作り直す作業。

工期24年。総工費は本体だけで7,455億円、取り付け線を含めると約9,000億円。34人が命を落とした。

People

青函トンネルの建設記録を読むと、個人の名前が前面に出てこない。

パナマ運河にはレセップスがいた。ブルックリン橋にはローブリング親子がいた。青函トンネルには、24年間をリレーした無数の技術者がいる。先進ボーリングの記録を更新した掘削チーム、毎分85トンの水に立ち向かった止水チーム、3本のトンネルを同時に管理し続けた坑内管理者たち。

1人の天才が率いたプロジェクトではない。技術の蓄積と継承で完成したプロジェクト。24年という時間が、そうさせた。

Legacy

1988年3月13日、青函トンネルが開通した。海底部23.3kmは世界最長。この記録は1994年、英仏海峡トンネルに抜かれる。

開通直後、青函トンネルは「昭和三大馬鹿」と呼ばれた。航空機が移動の主役になった時代に、24年と9,000億円をかけて鉄道トンネルを掘った意味があったのかという批判。赤字路線。

28年後の2016年、北海道新幹線が青函トンネルを走り始めた。東京と新函館北斗を4時間で繋ぐ。開通時に「馬鹿」と呼ばれたインフラが、次の世代の交通網の基幹になった。

学び

青函トンネルの先進ボーリングは、不確実性への向き合い方を示している。

海底の地質は掘るまでわからない。わからないまま本坑を掘れば、断層に正面からぶつかる。だから1km先を常に調査し続けた。わからないという事実を受け入れた上で、わからないまま進まない仕組みを作った。

開通後に「馬鹿」と呼ばれた事実も残る。24年の工期は、その間に世の中が変わってしまうリスクを内包している。着工時に正しかった前提が、完成時には覆っている。青函トンネルは航空機の時代に間に合わなかった。だが新幹線の時代には間に合った。

インフラの価値を測る時間軸は、作った世代が見ている景色より長い。

Project Timeline