Mission
1862年7月、リンカーン大統領がPacific Railway Actに署名した。大陸の東と西を鉄道で繋ぐ。全長2,826km。
当時、アメリカ大陸を横断するには6ヶ月かかった。幌馬車でオレゴン・トレイルを行く。途中で死ぬこともある。南北戦争の最中、連邦政府は西部との物理的な接続を必要としていた。軍事的にも、経済的にも。
法案の設計が独特だった。政府は2つの鉄道会社に建設を委ねる。Central Pacificが西のサクラメントから、Union Pacificが東のオマハから。2社が大陸の中央で合流する。
報酬は敷設距離に応じて支払われた。1マイルごとに政府から土地と債券が渡る。1864年の改正法で土地助成は倍増。総計1億7,500万エーカー以上。アメリカの国土の約10分の1に相当する面積が、鉄道のために切り出された。
距離を伸ばせば伸ばすほど儲かる。この制度が6年間のすべてを規定する。
Design
2社の出発条件は対称ではない。
Union Pacificの東側はネブラスカの大平原。地形は平坦で、敷設は比較的容易。Central Pacificの西側にはシエラネバダ山脈が立ちはだかる。標高2,000m超の花崗岩の壁。
Central Pacificを率いたリーランド・スタンフォードは、この地形的不利を補う方法を2つ持っていた。
1つは労働力。中国から移民労働者を大量に雇う。15,000人から20,000人。彼らはシエラネバダの花崗岩にトンネルを穿つ仕事に投入された。
もう1つは化学。1867年2月、Summit Tunnel(Tunnel 6)の掘削にニトログリセリンが初めて適用される。アメリカの鉄道建設で初の高爆薬使用。黒色火薬では1日1.18フィートしか進まなかった掘削が、1.82フィートに跳ね上がる。生産性54%の向上。
506メートルのトンネルを花崗岩の中に通す。この1本が、Central Pacificの全行程を左右した。
一方のUnion Pacificを率いたトーマス・デュラントは、距離の稼ぎ方が違った。設計よりも財務に力を入れる。その手段がCrédit Mobilierだった。
Execution
1867年から1869年にかけて、2社の敷設競争が加速する。距離が報酬に直結する制度のもと、両社はプロモントリー・サミットでの合流点に向けて走った。
1869年4月28日、Central Pacificが記録を作る。Ten Mile Day。16kmの線路を12時間で敷設した。ゴールデンスパイク式典の12日前。
この記録の裏側がある。
シエラネバダのトンネル掘削に投入された中国人労働者の死者は、推定1,000人から2,000人。約10人に1人が帰らなかった。ニトログリセリンの爆発、雪崩、転落、極寒。正確な数字は残っていない。公式の記録が取られなかったからだ。
距離に報酬を払う制度は、速度を生んだ。同時に、速度が覆い隠すものも生んだ。
People
デュラントの財務手法は後に「Crédit Mobilier scandal」として発覚する。Union Pacificの建設を請け負ったCrédit Mobilier社は、実際の建設費5,000万ドルに対し9,400万ドルを請求した。差額の4,400万ドルは消えた。さらに900万ドルが政治家への賄賂に充てられた。
発覚は1872年。ニューヨーク・サン紙が報じた。下院議員のオークス・エイムズが非難決議を受けたが、刑事訴追はなし。
距離に応じて政府資金が流れ込む仕組みは、距離を水増しする動機も作った。直線で引ける区間にわざと曲線を入れて距離を稼ぐ。そういう行為を制度が許容していた。
スタンフォードの側も清廉だったわけではないが、彼が直面していた問題はもっと物理的だった。花崗岩。雪。そして人の命。
中国人労働者たちの名前はほとんど記録されていない。彼らがどこの出身で、なぜアメリカに来て、何を考えて花崗岩を掘ったのか。残っている資料は断片的だ。多くは広東省四邑地域の出身だったとされる。
1869年5月10日、プロモントリー・サミットでゴールデンスパイクが打ち込まれた。式典の写真に中国人労働者の姿はない。
Legacy
大陸横断にかかる時間が6ヶ月から7日に縮まった。約25倍。コストは10分の1になった。
鉄道がもたらしたものは移動時間の短縮だけではない。
3,000万頭から6,000万頭いたバッファローが、鉄道の開通後に絶滅寸前まで追い込まれた。鉄道が東部からの大規模な狩猟隊を平原に送り込む手段になった。50口径ライフルで武装した数千人が「スポーツ」としてバッファローを撃った。
バッファローの消滅は先住民の生活基盤を破壊した。食糧源を失い、政府支援への依存を強いられ、条約への署名を迫られた。Crow Nationの首長Plenty Coupsはこう語った。
“When the buffalo went away, the hearts of my people fell to the ground.”
鉄道は意図して先住民の抵抗力を削ぐ道具にもなった。
学び
Pacific Railway Actの設計者たちは、距離という明快な指標に報酬を紐づけた。曖昧さがない。計測できる。争いにならない。そして2社を競わせることで速度も確保した。
制度設計として筋が通っている。
ただし、距離に報酬を払うと、距離以外のすべてが外部性になる。労働者の安全、建設の品質、先住民の土地、生態系。計測しないものは最適化されない。最適化されないものは犠牲になる。
6年で2,826kmを繋いだ事実と、1,000人以上の中国人労働者が命を落とした事実は、同じ制度から生まれた。4,400万ドルの横領も、バッファローの絶滅も。
計測指標を1つ選ぶということは、計測しない指標を無数に選ぶということでもある。