公開5日で100万ユーザー。2ヶ月で1億ユーザー。インターネット史上最速の普及。
2022年11月30日、OpenAIは新しい対話モデルを「無料の研究プレビュー」として公開した。社名のついた製品ではない。料金もない。プロモーションもほとんどなかった。社内では「目立たないだろう」と話されていた。
7年前の2015年12月、同じ組織は「人類全体のために安全なAGI(汎用人工知能)を作る」という宣言のもと、非営利として設立された。約束された資金は10億ドル。実際に集まったのは1億3千万ドル。
その7年間に何が起きていたか。
Mission
2015年12月11日、サンフランシスコ。サム・アルトマン、イーロン・マスク、イリヤ・サツケヴァー、グレッグ・ブロックマンを含む11人が、非営利法人OpenAI Inc.の設立を発表する。声明はこう書いていた。「我々の使命は、人類全体に最も利益をもたらす形でデジタル知能を発展させること」。
なぜ非営利だったのか。2014年1月、GoogleがイギリスのAI研究組織DeepMindを5億ドルで買収していた。AGIに最も近いと目された組織が、世界最大の広告会社の傘下に入った。マスクとアルトマンはこの構造を警戒していた。AGIが特定の企業に独占されたとき、人類はそれを止める手段を持たない。
設立宣言では、コードや研究成果を公開する方針が掲げられた。「Open」はそこから来ている。
何を作るかは、設立時点で決まっていなかった。AGIに向かう道筋自体が誰にも見えていなかった時代だ。当初は強化学習(ゲームAIの延長)と、ロボティクスと、生成モデルが並行して走った。それぞれ別チームで、それぞれ別の方向に向かっていた。
2017年6月、Googleの研究チームが「Attention Is All You Need」を公開する。Transformerと呼ばれる新しいニューラルネットワークのアーキテクチャだった。8人の著者の論文が、その後の10年を規定することになる。
OpenAIは、この論文を「うちのアーキテクチャに置き換える」ではなく、「これを徹底的にスケールさせたらどうなるか」という問いに変換した。
Design
2018年6月、GPT-1公開。1億1700万パラメータ。
2019年2月、GPT-2公開。15億パラメータ。OpenAIは「悪用リスクが大きすぎる」として完全版の重みを段階公開した。研究コミュニティから「過剰演出だ」という批判が出る。同時に「責任あるAI企業」というブランドが確立した。
2020年6月、GPT-3公開。1750億パラメータ。GPT-1の1495倍。学習データは570ギガバイトのテキスト。当時の常識では「これ以上スケールしても頭打ちになる」と考える研究者が多かった。
スケーリング則の論文を、OpenAIは2020年1月に発表していた。モデルサイズ、データ量、計算量を一定の比率で増やすと、損失(モデルの予測誤差)が予測可能に下がっていく。アルゴリズムの工夫より、リソース投下の方が効く。
この方針には金がかかる。GPT-3の学習コスト約500万ドル。GPT-4は1億ドル超とアルトマンが認めている。非営利の寄付モデルでは追いつかない。
2019年3月、組織を改編する。非営利のOpenAI Inc.が、営利子会社OpenAI LPを所有する構造に変えた。「capped-profit」と呼ぶ仕組みで、出資者の利益は出資額の100倍までに上限を設ける。それを超えた利益は非営利側に流れる。
2019年7月、マイクロソフトが10億ドルを投資した。Azureが優先パートナーになる。GPTのトレーニングに必要な計算資源を、マイクロソフトが用意する。引き換えに、商用化の優先権をマイクロソフトが得た。
「Open」を掲げた組織が、4年でモデルの重みを公開しなくなり、特定企業の優先アクセスを認めた。設立時の理念と、4年後の実態の乖離は、創業者の一人にとって受け入れがたかった。マスクは2018年に取締役を辞任している。
Execution
GPT-3はAPIとして公開され、開発者が呼び出して使うものだった。一般の人が触る場所ではない。
2022年1月、OpenAIはInstructGPTを公開する。GPT-3を「指示に従うように」追加学習させたモデルだった。手法はRLHF。Reinforcement Learning from Human Feedback。人間が複数の回答に順位をつけ、その順位をモデルに学習させる。何兆語のテキストでもなく、数万件の人間の判断が、モデルの振る舞いを根本的に変えた。
ベースモデルの能力ではなく、チューニングの工夫だった。
2022年秋、社内ではGPT-4の開発が進んでいた。チームの何人かが「対話用のUIを付けたGPT-3.5を出してみたらどうか」と提案する。経営層は「ローンチ前の地ならし」程度に考えていた。期待値は低かった。
11月30日、ChatGPTを公開する。社内のSlackには「もし1万人使ったら大成功だね」というメッセージが流れていたとされる。
12月5日、アルトマンがTwitterに投稿する。「ChatGPT crossed 1 million users last night.」5日で100万。
サーバーが追いつかない。週末ごとに「現在容量に達しています」のメッセージが表示される。OpenAIは急遽インフラを増強した。
2023年1月、Bytedanceのリサーチによれば月間アクティブユーザーが1億人を超えた。インスタグラムは2年半、TikTokは9ヶ月かかった数字だった。
同月、マイクロソフトが追加100億ドルの投資を発表する。累計で約140億ドルに達した。BingにChatGPTを統合する計画も同時に動き始めた。
2023年3月14日、GPT-4を公開。マルチモーダル(画像も理解できる)モデルだった。OpenAIの発表によれば、アメリカの司法試験で受験者の上位10%相当のスコア。GPT-3.5は下位10%だった同じ試験で(後の独立研究では再評価され、上位30%程度との指摘もある)。
4ヶ月で、世界は「AI」の意味が変わったことを確認する。
People
アルトマンは技術者ではない。スタンフォードを中退してLooptという位置情報アプリを創業し、Y Combinatorの社長を2014年から5年務めた。テクノロジー業界の「資金と人を集める人」だった。OpenAI設立時は30歳、CEO就任時は34歳。
サツケヴァーが研究を率いた。トロント大学でジェフリー・ヒントンの指導を受け、2012年にAlexNetの共著者として深層学習革命の起点をつくった男だ。1986年生まれ、ロシア出身、イスラエル経由。OpenAIの設立から、技術判断の中心にいた。
ブロックマンは2010年にStripeに入社し、2013年から2015年5月まで同社の初代CTOを務めた。決済システムの大規模インフラを構築した経験を、AIの学習インフラに持ち込んでいる。
2023年11月17日、金曜日の夕方。OpenAIの取締役会は、アルトマンをCEOから解任した。声明はこう書いていた。「取締役会はもはやアルトマンが OpenAIを率いる能力に信頼を置けない」。
理由は曖昧だった。「コミュニケーションに一貫性を欠いていた」「重要な情報を取締役会に伝えなかった」。後に報じられた内容では、ChatGPT公開のタイミングが取締役会に十分共有されていなかったこと、商業化のペースがミッションから離れているという認識、そして安全性の議論を巡る対立が背景にあった。
解任を主導したのは取締役の一人、サツケヴァーだったと報じられた。
土曜日、マイクロソフトのCEOナデラが介入する。「アルトマンとブロックマンをマイクロソフトで雇う」と発表した。日曜日、OpenAIの770人の従業員のうち、738人が「アルトマンを戻さないなら自分も辞めて、マイクロソフトに移る」と署名した公開書簡を出した。社員の95%超。
11月22日水曜日、アルトマンがCEOに復帰した。取締役会は刷新された。サツケヴァーは取締役を退き、後に2024年5月にOpenAIを離れた。
解任から復帰まで、5日。
サツケヴァーが解任直後に投稿したメッセージが残っている。“I deeply regret my participation in the board’s actions.”(取締役会の行動に加担したことを深く後悔している)
Legacy
ChatGPT公開から1年で、生成AIは政策議題になった。EUのAI法、米国の大統領令、各国の規制案。すべてが2023年に動き始めた。
マイクロソフトは累計140億ドルを投じ、Azureの売上の構造が変わった。クラウド計算需要の主要因が、Webサービスのホスティングから、AIモデルの学習と推論に移った。
競合が一斉に動いた。Googleは社内警戒度を「コードレッド」に引き上げ、BardとGeminiを投入。MetaはLlamaシリーズをオープンウェイトで公開する戦略を選び、GPTの「Open」の不在を埋めにかかった。Anthropicは元OpenAIの安全研究者たちが独立して設立し、Claudeで存在感を高めた。
データセンターへの設備投資が世界規模で動き出す。マイクロソフト、Google、Meta、Amazon。年間1000億ドル単位のAIインフラ投資が当たり前になった。
「Open」を掲げた非営利は、3年後には1500億ドルの企業価値で議論される存在になった。設立時の声明と、現在の組織形態の距離は遠い。
学び:「研究プレビュー」というラベルの効用
ChatGPTは製品ではなく「研究プレビュー」として出された。
この設計には複数の機能がある。
期待値を下げる。「研究プレビュー」は完成品ではないので、出力が間違っていても、応答が遅くても、ユーザーは怒らない。利用規約は短く、料金も発生しない。初期のChatGPTは事実誤りを大量に生成した。「幻覚」と呼ばれた現象が連日報道された。これが「製品」のラベルで出ていたら、訴訟や規制が早期に走った可能性が高い。
最大のフィードバックを得る。研究プレビューに月20ドルを払う人はいない。誰でも触れる。世界中のユーザーが、想定していなかった使い方を発見していった。コーディング補助、文章添削、心理相談、翻訳、ロールプレイ。OpenAIの社内では予想されていなかったユースケースが、公開後の1ヶ月で見えた。
この構造には逆説がある。期待値を下げて出したものが、結果として史上最速の普及を生んだ。期待値を上げて完璧に作り込んでリリースしたなら、ここまで早くは届かなかった。
ChatGPT公開時のGPT-3.5は、当時の最先端モデルではなかった。GPT-4が社内では完成に近づいていた。最高性能を出すこともできた。それをしなかった判断が効いている。
逆の例を考えてみる。GPT-4を公開当日に「正式版」として完璧なUXで出していたら何が起きていたか。注目はもっと集まったかもしれない。だがフィードバック量は限定的になる。料金が発生し、利用規約が厳格になり、出力品質への期待が膨らみ、誤った出力一つで信頼が崩れる。
「研究プレビュー」というラベルは、提供者と利用者の間にある暗黙の契約を緩める装置だった。完成品ではないと宣言した瞬間に、品質の責任が分散する。失敗が許される。実験が許される。
仕事に置き換えてみる。
新規プロダクトに「ベータ版」のラベルを残したまま出すこと。完成度を上げてから出すか、未完成のまま早く出すか。多くの組織は前者を選ぶ。完成までに数ヶ月かかり、その間に競合が動く。
「正式版」と呼ぶことは、品質責任を引き取ることだ。「ベータ版」と呼ぶことは、品質責任の一部をユーザーと共有することだ。
ChatGPTの公開がしたのは、もう一つ別のことだった。「研究プレビュー」と呼ぶことで、提供者自身も完成品ではないと信じられる。完成品としてリリースする緊張感がない場所では、エンジニアは早く出せる。出してから直せる。出してから学べる。
期待値を下げる勇気が、最大のフィードバックを引き出す。
7年間、計算資源とパラメータをスケールさせ続けた組織が、最後にやったのは、ラベルの選び方だった。
出典・参考資料
- OpenAI「Introducing ChatGPT」OpenAI公式ブログ, 2022年11月30日 (https://openai.com/index/chatgpt/) — ChatGPTの公開時の位置づけ・RLHFの説明
- Wikipedia「OpenAI」 (https://en.wikipedia.org/wiki/OpenAI) — 設立経緯・組織変遷
- Wikipedia「ChatGPT」 (https://en.wikipedia.org/wiki/ChatGPT) — 公開タイムライン・ユーザー数
- Wikipedia「Removal of Sam Altman from OpenAI」 (https://en.wikipedia.org/wiki/Removal_of_Sam_Altman_from_OpenAI) — 2023年11月の解任騒動の経緯
- Vaswani et al.「Attention Is All You Need」NIPS, 2017 (https://arxiv.org/abs/1706.03762) — Transformerアーキテクチャの原典
- Kaplan et al.「Scaling Laws for Neural Language Models」arXiv:2001.08361, 2020 — スケーリング則
- Ouyang et al.「Training language models to follow instructions with human feedback」InstructGPT論文, 2022 — RLHFの手法詳細
- Ben Cottier, Robi Rahman「The Rising Costs of Training Frontier AI Models」arXiv:2405.21015, 2024 — モデル学習コストの体系分析
- The Washington Post「Why Sam Altman was fired, and why he is back at OpenAI, explained」2023年11月20日 — 解任の経緯
- PBS NewsHour「Sam Altman reinstated as OpenAI CEO」2023年11月22日 — 復帰の経緯
- SemiAnalysis「GPT-4 Architecture, Infrastructure, Training Dataset, Costs」2023年 — GPT-4の規模推定


