Execution Atlas
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Googleストリートビュー — Larry Pageが車にカメラを縛った日から

220億枚。100カ国。1000万マイル。

2003年のある日、Larry Pageは業務用ビデオカメラを買い、自分の車の窓に縛り付けた。撮影しながらサンフランシスコを走り回り、エンジニア仲間に映像を見せた。“I bet we can do something with this.”

19年後、Googleストリートビューは地球を42周分撮影し、その途中で600GBのWiFi通信を誤って盗聴し、スイス連邦最高裁に「99%では足りない」と言われ、ドイツから事実上撤退し、日本で全土を撮り直した。

このプロジェクトには終わりがない。地球上の道路は今日も増え続けている。

Mission

2000年代初頭、デジタル地図はまだ「地図」だった。MapQuestもGoogle Mapsも、線と点とラベルでできていた。

2001年、スタンフォード大学のコンピュータグラフィックス研究室で「City Block Project」が始まる。Googleがスポンサーになった研究プロジェクトだった。主宰はMarc Levoy。レンダリング理論で知られた教授。問いは単純だった。

地球上の全ての道路を、写真で見られるとしたら、地図はどう変わるか。

2003年、Larry Pageが自分のアイデアを動かし始める。ビデオカメラを車に縛り、サンフランシスコの街角を撮った。録画したテープを社内で回し、こう聞いて回った。「これを地球規模でやったら、何ができる?」

研究者の問いと、創業者の直感が同じところに着地した。地図は世界そのものになりうる。

2004年、Luc Vincentが入社する。フランス出身のコンピュータビジョン研究者。論文の世界で名前は知られていたが、Google Mapsチームには地味なポジションで入った。City Block Projectがスタンフォード側で終了する2006年6月、技術はそのままGoogle社内に移される。Vincentが事実上のリーダーになった。

このプロジェクトには、当初から要件定義書がなかった。「世界の道路を撮る」以上の仕様はない。終わりも定義されていない。Googleは「20%時間」の文化で、未公認の少人数チームに巨大な野心を任せていた。

公式予算がついたのは2005年10月だ。Vincentはその直前、社内テックトークで「データ取得から処理・公開までを通したエンドツーエンドのデモ」を見せている。インターンと数人の有志でサンフランシスコのデータを実際に処理し、地図上にパネル表示するところまで動くものを作った。提案書ではなく、動くものを置いた。エンジニアリング担当のVPがその場で参加を決め、10月に正式プロジェクト化が承認された。

Design

意思決定上の最大の難しさは、ゴールが固定されていないことだった。「世界の道路を撮る」と言ったとき、何を作るのか、いつ完成するのか、撮り切ったあと何が起きるのかが、社内でも合意されていなかった。Vincentが選んだ設計の方針は「先に動かす、後で考える」。撮影機材は段階的に世代を入れ替える前提にし、撮影範囲は「次にどこを撮るか」をプロジェクト単位で判断する。ゴール定義の不在を、組織図と意思決定リズムで補った。

具体的な設計上の制約は3つあった。

第一に、道路は終わらない。世界には4400万kmの道路があり、毎年新しい道路が増える。古い道路は工事で姿を変える。「全部撮り終える」がゴールだとプロジェクトは永遠に未完成になる。

第二に、カメラの位置が法律のグレーゾーンに触れる。「公道からの撮影」は米国では原則自由だが、欧州とアジアではそうではない。家屋と道路の距離、塀の高さ、住宅地の構造が国によって違う。

第三に、画像には必ず顔と車のナンバーが写る。これを出したまま公開すれば、即座に訴訟になる。

Vincentのチームが選んだのは、ハードウェアを固定しない設計だった。最初の試作機R2では、車のルーフに複数のフィッシュアイレンズを並べた。次のR5ではレーザースキャナーを追加し、深度情報も取得するようになる。R7では、自社開発の15個の高解像度CCDセンサーを一つの筐体に組み込んだ。

撮影プラットフォームも固定しなかった。車では入れない道はトライク(三輪車)で。山道はTrekkerバックパック(高さ1.2m、重さ20kg)で。雪山はスノーモービルで。河川はボートで。後にはISSの内部までカメラを持ち込んでいる。

「あらゆる視点を最初から設計する」ではなく、「必要になったら次の乗り物を作る」。

360度全方位を撮影するという判断も、後から効いた。撮影時点でフレーミングを決めなくていい。後でユーザーがどの方向を見たくなっても、その画像はすでにある。

顔とナンバープレートは自動ぼかしで処理する設計にした。Googleは「99%の精度」を宣伝した。1%の取りこぼしが何を意味するかは、当時はまだ問題になっていなかった。

Execution

2007年5月25日、ストリートビューが公開される。サンフランシスコ、ニューヨーク、ラスベガス、マイアミ、デンバー。5都市だけだった。

公開から数時間後、ネット上で奇妙な遊びが始まる。人々が自分の家を検索した。自分の車を、自分自身を、知り合いを、画像の中に見つけた。日光浴中の女性、AAミーティングの建物の前にいる男性、性風俗店から出てくる客。一日で数千件の削除リクエストが届いた。

Googleはハードを増設し、自動顔ぼかしの開発を急いだ。2008年5月、マンハッタンでのテスト運用を開始する。アルゴリズムは人間の顔をデータベース全体で検出してぼかす設計。動かしてみると、過剰検出も起きた。路上看板に描かれたダライ・ラマの顔が消えた。映画ポスターのアイドル像もぼかされた。それでもGoogleは精度より展開速度を優先する。6月10日、テスト開始からおよそ1ヶ月で、当時カバーしていた40都市すべてに顔ぼかしを展開した。「99%は使える」前提で、世界中に同時展開する判断だった。

国際展開も同時並行で進む。2008年7月2日、ヨーロッパ初進出としてツール・ド・フランスの全21ステージ沿いを公開。エッフェル塔から山岳路まで一気に。8月4日にはオーストラリアと日本を含む28都市を追加。2009年3月19日にイギリス25都市。撮影車はオーストラリアではHolden Astra、欧州ではOpel、それぞれの市場の量販モデルを改造して使った。1年で公開都市数が10倍、撮影距離は数百万km規模まで膨らむ。撮影は地元採用のドライバーがGPS連動の自動撮影システムを積んだ車を走らせる方式で、Vincentのチームは現場には行かない。リモートでルート、撮影スケジュール、画像のQAパイプラインを管理した。

2008年8月、日本でローンチ。問題は別の形で噴き出した。カメラの位置が高すぎて、塀越しに洗濯物と布団が見える。日本の家屋は道路に近く、道路は狭く、塀は低い。米国の郊外住宅を前提にしたカメラ高は、東京の路地で破綻した。Googleはカメラを16インチ(約40cm)下げ、日本全土を撮り直した。最初の撮影分は全廃棄。一国の全データを廃棄して撮り直すという判断は、コストでも撮影期間でも痛手だが、現地基準に合わせないと残りのアジア展開も止まる。スコープを切る決断を、Vincentのチームは半年以内に下した。

2009年、スイス連邦データ保護庁が提訴する。「自動ぼかしは100%ではない。シェルター、刑務所、女性施設、病院の周辺では、たまたま映ったDV被害者やHIV患者を、Googleが世界に公開している」。Googleは反論として「ストリートビューをスイス全土から消す」と通告した。脅しは効かなかった。

2011年、スイス最高裁が判決を出す。要旨はこうだ。

99%では足りない。

Googleはセンシティブな施設の周辺では、自動技術に加えて手動で全画像を確認しなければならない。

そして2010年5月、すべての中で最悪のスキャンダルが発覚する。ドイツの規制当局が問い合わせをきっかけに調査を進めると、ストリートビュー車が2007年から3年間、走行中にWiFiの「ペイロード」を傍受・保存していたことがわかった。SSIDだけ取るつもりが、暗号化されていない通信の中身まで全部保存していた。30カ国、合計約600GB。メールアドレス、URL、パスワード、テキストメッセージ。後のFCC調査で項目が列挙された。

Googleの初期説明はこうだった。「単独のエンジニア(Engineer Doe)が、レビューされていないコードを混入させた。組織は知らなかった」。

CEOのEric Schmidtは発覚から4日後のZeitgeist会議で「誰が傷ついた?名前を挙げてみろ」と発言する。同じ年のCNN「Parker Spitzer」では、ストリートビュー車に家を撮られたくない人について「引っ越せばいい(Just move)」と答えた。発言は炎上し、Schmidtは後に「明らかに言い間違えた」と謝罪する。Googleは公式ブログで再発防止策を公表し、社内のプライバシー監査体制を新設した。

後に米連邦通信委員会(FCC)の調査で、複数のエンジニアと管理職がコードの存在を認識していたことが明らかになる。Engineer Doeの正体はMarius Milner。NetStumblerという「WiFiを探して走り回る」(wardriving)アプリケーションを世界で最初に作った男。「単独の暴走」では説明できない人選だった。

フランス、ドイツ、スペインがGoogleに収集データの開示を要求し、最終的に各国政府にハードディスクが引き渡された。Googleは2013年に37州との集団訴訟で700万ドル、2019年に1300万ドルを支払って和解する。ドイツでは2010年中に20都市のみで撮影を打ち切り、以後事実上撤退した。

People

Larry Pageは2003年当時、30歳。Googleの株式公開はまだ1年先。月面着陸を「10年以内」と宣言した時のケネディと違って、Pageは自分の車で実験を始めた。CEOになる前の創業者は、自分の手を使って物事を動かす自由がある。

Marc Levoyは1953年生まれ。City Block Project開始時で48歳のスタンフォード教授。コンピュータグラフィックスの研究でVMware Founders Professorの肩書きを持っていた。スタンフォードでの研究プロジェクトは「Google社内ベンチャーの大学版」のような形で進む。Levoy自身は後年、Googleに移籍してPixelのカメラチームを率い、HDR+やNight Sightを作った。City Block Projectは、研究と製品の境界を意図的に溶かす実験でもあった。

Luc Vincentは、入社時に「ストリートビューの父」になるつもりはなかった。コンピュータビジョンの研究者として、画像処理の基礎ライブラリを書いていた。チームを引き継いだのは、Pageのアイデアを実装に変換できる技術者が他にいなかったから。

Vincentは12年間Googleにいた。最盛期の2010-2012年頃、Vincentのチームは数百人規模に膨れていた。彼自身は2010年代後半に退社し、後にHayden AIの最高技術責任者になる。プロジェクトを離れたとき、ストリートビューはすでに彼一人では止められない巨大な運用機構になっていた。

Marius Milnerは、表に出てこなかった。FCCの報告書が「Engineer Doe」を彼と特定しても、本人はメディアの取材に応じていない。WiFiペイロードの収集が彼一人の判断だったのか、暗黙の組織了解だったのか、本人の言葉での記録はほとんど残っていない。

スイス連邦最高裁が示したのは、シンプルな構造だった。母数が大きいプロジェクトで「99%」を技術仕様として満足としても、残りの1%にとっては何の慰めにもならない。だから、センシティブな施設の周辺では自動技術に加えて手動の確認を義務付ける。

Legacy

ストリートビューは、地球の表面の見え方を変えた。100カ国、220億枚、1000万マイル。これは月までの距離(38万km)の42倍に相当する。

意図しなかった副産物のほうが大きいかもしれない。

Google Maps本体の競争力が一段階上がった。AppleがMapsを始めるとき、ストリートビュー相当の機能が無いことが大きなハンディキャップになった。

Waymoが自動運転を開発するとき、ストリートビューが10年かけて蓄積した「世界の道路の3D点群データ」が基盤になった。後にWaymoを率いるSebastian Thrunは、2007年に360度カメラを積んだ自動運転車プロトタイプを作り、初期のストリートビュー撮影にも自ら関わった。自動運転の研究が地図プロジェクトを生み、地図プロジェクトが自動運転の本体に戻ってきた。

ある世代のユーザーにとって、ストリートビューは「もう存在しない場所」を見るための装置になった。火災で焼け落ちた家。津波で消えた町。亡くなった親が立っていた庭。Googleは2014年に「タイムマシン」機能を追加し、過去の撮影分を遡れるようにした。

2022年、Googleは15周年を機にImmersive Viewを発表する。航空写真とストリートビューを機械学習で合成し、空からの俯瞰と地上のアングルをシームレスに繋ぐ。元のプロジェクトの「全方位を撮っておく」設計が、ここでも効いた。

PageとLevoyとVincentが2003年に想定していなかった用途は、たぶん10個では足りない。

学び:「率」のゴールは「絶対数」で評価される

Googleは「99%の精度で顔をぼかす」と宣言していた。これは技術仕様としては妥当だ。コンピュータビジョンの当時の水準で、99%は野心的な数字だった。

スイス当局はこの「99%」を不十分とした。

両者の言っていることは矛盾していない。視点が違うだけだ。

Googleは「率」で考えていた。100枚に1枚なら、許容できる範囲だ。

当局は「絶対数」で考えていた。スイス国内で撮影される画像が1億枚あるなら、1%は100万枚。100万人のうち、DV避難所の前で撮られた1人がいれば、その1人が殺されかねない。

スケールが小さいプロジェクトでは、この2つの視点は近い。100枚の写真の1%は1枚で、「率」と「絶対数」のどちらで議論しても答えは大差ない。スケールが大きくなると、両者は劇的に乖離する。同じ「1%」が、許容可能なノイズと、社会的に許容できない暴力の境界線になる。

似た構造は他のプロジェクトにもある。

ボーイング737MAXのMCASは「99.9%安全」だったかもしれない。だが世界で4000機が運用される機体では、0.1%の系統的欠陥が2回の墜落で346人を殺した。

自動運転車の安全性議論も同じだ。「人間より安全」という相対指標は、絶対数で何人死ぬかという問いの前では役に立たない。

スケールするプロジェクトでは、KPI設計の段階で「率」と「絶対数」のどちらを目標にするかを決めなければいけない。「率」をゴールにしたまま規模だけ大きくすると、ある時点で外部から「絶対数」で殴られる。社会的・法的な許容限界は、率ではなく数で決まるからだ。

Googleはこの教訓を、撮影枚数が数十億枚規模に達した頃に、訴訟と判決の形で受け取った。

あなたのプロジェクトのKPIが「率」のとき、それが10倍になったとき、100倍になったときの絶対数を、誰かが計算しているか。

出典・参考資料

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Project Timeline