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大型ハドロン衝突型加速器(LHC) — 動いた9日後に止まった加速器が、4年後にヒッグスに到達した記録

2012年7月4日午前9時、ジュネーヴ郊外のCERN本部。講堂には大学院生から83歳の理論物理学者まで500人以上が詰めかけていた。演壇に立ったのはATLAS実験の代表ファビオラ・ジャノッティ。スライドが1枚めくれると、質量125GeVあたりに明瞭なピークが浮かんでいた。最前列にいたピーター・ヒッグスは涙を拭いた。48年前に自分が理論で書いた粒子が、いま検出器のなかで見えている。

発見を担保していたのは10の15乗回の陽子衝突だった。うち約24万回でヒッグス粒子が生まれ、そのうちレプトン4個に崩壊したのは8回。8回の観測が、素粒子物理学の標準模型を完成させた。

装置は地下100メートルの円形トンネルにある。ジュネーヴの街の下、スイスとフランスの国境をまたぐ周長27キロメートルのリング。1988年に完成した別の加速器 LEP のために掘られた穴だった。LHC は40年前に他人が掘った穴を借りて、素粒子の最後の1ピースを見つけている。

Mission:SSCが潰れ、LEPが残った

1970年代、素粒子物理学者たちは1つの穴に気づいていた。標準模型と呼ばれる素粒子の理論体系はほぼ完成していたが、質量の起源を説明する粒子が理論上必要で、まだ見つかっていない。ヒッグス粒子。理論家が黒板に書いたその1つの粒子を実験で拾うには、既存の加速器の何倍ものエネルギーがいる。

1977年、CERN の前所長ジョン・アダムスは、ジュネーヴ郊外に周長27キロメートルの地下トンネルを掘る構想を出した。LEP、大型電子陽電子衝突器を収めるためだ。1985年にトンネルボーリングマシン3台で掘削が始まり、1988年2月8日にリングが貫通する。両端の合流誤差は1センチメートル。LEP は1989年から2000年まで運用され、電子と陽電子を衝突させて素粒子の精密測定を積み上げた。ヒッグス粒子には届かなかった。

同じ頃、アメリカも別の計画を進めていた。SSC、超伝導超大型加速器。テキサスの地下に周長87キロメートルのトンネルを新規に掘り、LEPの3倍のエネルギーを狙う。ヒッグスを確実に射程に収める設計だった。

SSCは1993年、議会で中止になる。理由はコスト。20億ドルを使った時点で最終見積もりが87億ドルまで膨らみ、議会が撤退を決めた。米国は素粒子物理学の実験リーダーの座を、CERNに明け渡す。

CERNは1994年12月、LEPの27キロトンネルにLHCを収める案を理事会で承認した。土木の最大コストがゼロ査定できる案だった。エネルギーが足りない分は、1.9Kまで冷やす超伝導磁石で稼ぐ。SSCが1兆円規模の新規掘削で潰れたのに対し、LHCは40年前の投資を積み立て残高として使った。ヒッグスを探す競争は、この時点で欧州が勝ちを引き寄せている。

Design:1.9Kと、独立に競う2つの実験

LHCの設計は3つの制約に規定された。

1つ目は不可逆性。周長27キロメートルのトンネルはすでにある。掘り直せない。この直径に収まる磁石で必要なエネルギーを稼ぐ以外に道はない。

2つ目は温度。加速器は超伝導磁石で作る。それも1.9K、摂氏マイナス271.3度。宇宙背景放射(2.7K)より冷たい。液体ヘリウムで冷やす。この温度でしか、必要な8.3テスラの磁場を1232台の主磁石で維持できない。

3つ目は複製。ヒッグスのような希少な現象は、大量のノイズのなかに1個だけ現れる。1つの実験装置が「見つけた」と主張しても、それが本当か疑わしい。同じ現象を独立した別の装置で確認する必要がある。

CERNは2つの汎用検出器 ATLAS と CMS を並置した。同じ加速器の同じビームを見るが、検出器の設計思想は違う。ATLAS はトロイダル磁場、CMS はソレノイド磁場。両者が同じ質量のところに同じ粒子を独立に検出したら、それは装置のクセや解析の思い込みではなく、物理的な現象になる。1つの発見を2つのチームに独立に競わせる設計。世界中の物理学者を独立チームに分けて、同じ標的を別々の道具で撃たせる方式は、後の大型実験の標準になった。

分業も規定された。加速器本体はCERNが持ち、検出器は世界の研究機関の分担で作る。ATLASの主要部品はデンマークからロシアまで38ヶ国の研究所が分担製造した。CMSも同様。各国が自国で作った部品を1つの穴に持ち寄って組み立てる。国際協力というより国際製造ラインに近い。

超伝導磁石の量産は、着工前の段階では未経験の領域だった。1.9Kで運用する主双極子磁石を1232台、工業的に量産する体制は、この時点でどこにもない。CERNは3ヶ国の複数メーカーに発注を分けた。冗長化と品質競争を狙った設計だったが、これが後にプロジェクトの遅延要因になる。

Execution:2005年計画、2008年ぎりぎりの初ビーム、9日後の事故

1998年、建設が本格スタートした。当初計画では2005年に完成する予定だった。

量産に入ってから予定は狂い始める。プロトタイプ段階で1.5億スイスフラン、量産段階でさらに1.8億スイスフラン。加速器分だけで当初承認の26億スイスフランから最終46億スイスフランと1.8倍にコストが膨らみ、完成予定は2005年、2007年、2008年と後ろ倒しになった。原因の内訳を追うと、超伝導磁石の量産で品質ばらつきが出て歩留まりが落ちたこと、CMS 検出器を収める地下洞窟が堆積層に阻まれて凍結工法を導入したこと、供給メーカーの納期ズレが積み上がったこと。単一の失敗ではなく、量産と土木の両側で細かい遅れが重なった。

試作したことがないものを、いきなり1232台量産する。試作機で見えなかったばらつきが、量産で連鎖する。ソフトウェアで言えば、ローカルで動いたコードを本番の負荷にかけて初めて出てくる問題群に近い。

2007年11月、最後の主磁石が地下に降ろされた。2008年8月、加速器全周が1.9Kまで冷えた。9月10日、初めての陽子ビームがリングを1周する。世界のメディアが「宇宙誕生の再現」を報じた。CERNの広報室に問い合わせが殺到し、ジャノッティのメールボックスは1日で1万通を超えた。

9日後、9月19日。セクター3-4で高電流試験を行っていた。約9000アンペアの超伝導電流を主双極子磁石に流したところ、2台の磁石のあいだの銅接続部で抵抗が過大になり、局所的に熱が発生した。超伝導が破れる。専門用語ではクエンチ。周辺の液体ヘリウムが一気に気化してトンネル内に噴出し、53台の磁石(双極子39台、四極子14台)が撤去されて修理・交換に回された。無人のトンネルだったため負傷者はいなかったが、加速器は動かなくなった。

事故の原因は、11.85キロアンペアの通常運用電流を流す前提で作られた銅接続部に、微小な抵抗過大が残っていたこと。事前の試験で許容範囲内と判定されていた接続部が、実運用の負荷の下でぎりぎり破綻した。試験で拾えない領域があった、ということだ。

CERNは事故の3日後にプレスリリースを出し、詳細な技術報告書を10月に公開した。政治的な信頼を守るための即時公開だった。修理費用は1600万ドル。総プロジェクト額90億ドルからすれば些少だが、時間の損失は14ヶ月に及んだ。

修理と並行して、クエンチ保護システム(QPS)の全面刷新が始まる。事故前の QPS は磁石本体のクエンチは検出できたが、接続部の抵抗過大は検出範囲外だった。新QPSは、抵抗の微小な異常を全周でリアルタイムに監視する。同じ事故を二度と起こさないための設計を、事故が起きてから決めた。

2009年11月23日、運用再開。当初計画のフル出力14TeVは棚上げにし、7TeVからの段階運用に切り替えた。安全側に振りつつ物理成果は早期に出すための判断だった。この判断が、3年後のヒッグス発見の時期を決めることになる。

People:アダムスの穴、エヴァンズの磁石、ジャノッティの発表

LHC の物語には3人の名前が並ぶ。

ジョン・アダムス。1920年生まれ、英国。1977年にCERNの前所長として27キロトンネルを提案した。1984年に亡くなっている。LHCの初ビームを見ることはなかった。彼が提案したのはLEPのトンネルで、20年後にそのトンネルがLHCに転用されることは、たぶん彼自身も予想していない。1つのインフラ投資が、後の世代の別プロジェクトの前提になる。

ライン・エヴァンズ。1945年生まれ、英ウェールズ・アバデア出身。1993年から2008年まで、LHCプロジェクトリーダーを務めた。あだ名は「Evans the Atom」。物理学者だが、キャリアの大半を加速器の建設と運用に費やした。1998年から2008年の10年間、コスト超過と技術トラブルを引き受け続けた責任者は彼だ。2008年9月19日の事故の後、彼はCERN理事会に事故の全経緯を報告し、当初予定より1年遅れていた退任を延期して修復を指揮した。

ファビオラ・ジャノッティ。1960年生まれ、イタリア・ローマ出身。2009年から2013年までATLAS実験の代表を務め、ヒッグス発見の当日、講堂の演壇に立った人物だ。2016年から現在まで、CERN所長。女性初のCERN所長で、2019年に2期目に選出された。物理学とピアノを両立させて博士号を取り、20代でCERNに移った。ヒッグス発見の会見でこう言っている。

「これはCERNだけの発見ではない。世界中の何千人もの物理学者、エンジニア、技術者の40年の仕事の結果だ」

会場のピーター・ヒッグス(当時83歳)は最前列にいた。1964年にヒッグス機構の論文を書いてから48年。「私が生きているうちに見つかるとは思っていなかった」と彼はコメントしている。翌2013年、ヒッグスとフランソワ・エングレールがノーベル物理学賞を受賞する。エングレールはヒッグスと同じ年に独立に同じ理論を提出した物理学者で、ノーベル賞は理論を書いた2人に贈られた。

賞の受賞者リストに、実験のジャノッティも、エヴァンズも、アダムスの名前もない。CERN も組織として受賞していない。ノーベル賞の伝統的な規則(受賞は3人まで、組織には贈らない)と、素粒子実験の現実(発見論文の著者は3000人)が噛み合わない現象は、いまも解決していない。ATLAS発見論文の共著者は2924人、CMSは2883人。ひとつの実験を回すのに、これだけの人間が実際に手を動かしている。

Legacy:8個の観測が閉じた模型、次の穴

ヒッグス粒子の発見で、素粒子物理学の標準模型は完成した。物質を構成する6種類のクォークと6種類のレプトン、力を伝える光子・グルーオン・W/Zボソン、そして質量を与えるヒッグス。すべての予測粒子が観測でそろった。20世紀の物理学が積み上げてきた理論体系が、2012年7月4日に閉じている。

同時に、次の穴が見え始めた。標準模型は完成したが、宇宙の質量の85%を占める暗黒物質を説明できない。重力と量子力学の整合も取れていない。CERNは高輝度LHC(HL-LHC)を2029年に稼働させ、統計を10倍に伸ばして標準模型のずれを探す予定でいる。その先には周長91キロメートルのFCC構想もある。27キロの次は91キロ。SSCが潰れた87キロを超えるスケールだ。

経済的な波及もある。加速器技術は医療用の粒子線がん治療装置に転用され、超伝導磁石の技術はMRIの改良に流れた。ティム・バーナーズ=リーが1989年にCERNでワールド・ワイド・ウェブの提案書を書き、翌1990年に世界初のWebサーバが動いた話も有名だが、この起点にはLEP時代の物理学者間の情報共有ニーズがあった。素粒子実験のインフラが、副産物として現代のインターネットの原型を生んでいる。

数字を見返すと、LHCは典型的なメガプロジェクトの姿をしている。工期は当初1998→2005の7年計画が、2008の10年になった。1.4倍の遅延。コストは加速器本体で当初計画の1.8倍。ヒッグス発見までを含めれば、1998→2012の14年計画で振り返れる。1つの粒子を1つ確認するために、20年の準備と14年の建設と3000人の物理学者を投入した。素粒子1個の観測コストの計算は、まだ誰もやっていない。

学び:初稼働の翌日こそ、最悪ケースが待っている

LHCの物語のなかで、いちばん印象に残るのは2008年9月19日だ。ビームがリングを1周した9日後、加速器は止まった。世界のメディアが「宇宙誕生の再現」と報じた翌週、CERNは無人のトンネルで14ヶ月の停止を強いられた。

事故の原因を後追いすると、ある種の陳腐な組み合わせに見える。フル運用に近い電流を流す接続部にわずかな抵抗があり、検出網の外だった。プロジェクトを16年動かしてきたエヴァンズ・チームの誰かが手を抜いたわけではない。QPSは事前試験の想定範囲では正しく動いていた。想定の外で事故が起きた。

大きなシステムを長く動かすと、この構造が繰り返し出てくる。完成直後のシステムは、部品ごとの試験と統合試験は経験しているが、実運用の全数一斉ストレスは本番でしか出せない。試験環境と本番環境のギャップは、どこかで必ず現れる。それが顕在化する瞬間は、統計的に「動き出した直後」に偏る。まだ部品が新しくて設計許容の縁ぎりぎりを歩いているし、運用者が装置の癖を体で覚えていない。

「動いた」瞬間は、警戒を過小に見積もる。10年かけて作った装置がついに動いた9日後は、心理的にも組織的にも警戒を解きやすい。9月10日の初ビーム循環はメディアの前で成功した。CERNの職員はしばらく祝いモードだったはずだ。9月19日は、その気分の底が抜けた日だった。

その日をどう扱うかで、プロジェクトの寿命が決まる。

LHCの場合、CERNは事故を隠さなかった。事故の3日後にプレスリリース、10月に詳細技術報告書。原因が判明した段階で全周の接続部の再点検と QPS の全面刷新を宣言した。加盟21ヶ国の理事会に対して、追加費用と14ヶ月の遅延を認めさせるための情報公開だった。もしCERNが事故の詳細を隠そうとしていたら、再稼働の予算はもっと難航したはずだ。事故を認めることが、事故から立ち直る資源を確保する方法になった。

エヴァンズは退任を延期して修復を指揮した。運用再開後は当面フル出力を出さず、7TeVからの段階運用に切り替えた。当初の14TeVを捨てたわけではないが、まず動く形にしてから徐々に上げる。安全側に振りつつ物理成果は早期に出す判断は、結果として2012年のヒッグス発見の時期を早めている。フル出力を待って完璧な条件で運用開始する判断もありえたが、それだと発見はもっと遅れていた可能性が高い。

あなたのプロジェクトの「初稼働の翌日」に、なにかが壊れることを織り込んで、修復と情報公開の手順は決まっているだろうか。ゼロから作った装置を初めて全速で回した瞬間、想定外は必ず出る。想定外そのものを避けることはできない。避けられるのは、想定外が出た日に、隠すか公開するかの判断だけだ。

LHCは40年前に他人が掘った穴を再利用して素粒子の最後の1ピースを見つけたが、その途中で一度、動いた翌週にすべて止まった。止まってから4年後に、ヒッグスは現れている。動くことと、止まってから動き直すことは、たぶん同じくらいプロジェクトの実力を測る。

出典・参考資料

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