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マスダールシティ — 220億ドルの「ゼロ」が溶けた砂漠

220億ドル。50,000人。ゼロカーボン。ゼロウェイスト。

2006年、アブダビは砂漠に「完璧な都市」を建てると宣言した。化石燃料を一切使わない。廃棄物を一切出さない。自動車は走らない。すべてが「ゼロ」だった。

2024年、そこに住んでいるのは約5,000人。計画の10分の1。カーボンニュートラル達成率は50%。計画面積の6分の1しか開発されていない。「ゼロ」は、どこかに消えた。

Mission:石油が尽きる前に

UAEの経済は石油でできている。GDPの30%以上が石油・天然ガス。石油は有限だ。

2006年、アブダビ政府はMasdar(アラビア語で「源」)を設立した。ムバダラ投資会社の子会社。目的は経済の脱石油。再生可能エネルギーと持続可能技術への転換。その象徴として構想されたのが、マスダールシティだった。

CEOに就いたのはスルタン・アル・ジャベール。当時33歳。ADNOC(アブダビ国営石油会社)出身のエンジニア。石油会社の人間が、脱石油の都市を作る。後にこの矛盾は、もっと大きくなる。

「2006年に再生可能エネルギーに投資することは、明らかな選択ではなかった。勇気ある選択だった」。アル・ジャベールは後年そう振り返っている。

計画の数字はこうだった。総投資額220億ドル。面積6km²。居住者50,000人、通勤者50,000人。完成目標は2016年。8年間で完全なゼロカーボン・ゼロウェイスト都市を建設する。

同時期、中国でも似た構想があった。上海のDongtan(東灘)エコシティ。50万人規模のゼロカーボン都市を崇明島に建てる計画。設計はArup。だが政治的後ろ盾だった上海市共産党委員会書記の陳良宇が汚職で逮捕され、2010年までにプロジェクトは消滅した。着工すらできなかった。

マスダールは少なくとも着工した。それが救いだったのか、罠だったのかは、あとでわかる。

Design:地上7mの都市

設計を任されたのはノーマン・フォスター率いるFoster + Partners。世界的建築事務所だ。

フォスターの構想は大胆だった。都市全体を地上7mの台座(ポディウム)の上に建設する。地上には人間だけが歩く。自動車は存在しない。台座の下には無人の電気自動車「PRT(Personal Rapid Transit)」が走る。3,000台の無人EV。85〜100の駅。1日135,000トリップ。

デザインの参照先は中世アラブ都市だった。路地幅を狭くし、建物は4〜5階建てに抑える。直射日光が路面に当たる時間は1日わずか30〜45分。都市全体を北東-南西の軸に沿って配置し、夜間の涼しい風を取り込む。

45mのウインドタワー。アラブの伝統的な風の塔「バージール」の現代版。上空の冷たい風を捕まえ、街路レベルに送り込む。センサーが風向を検知し、ルーバーが自動で開閉する。街路の温度を周囲より15〜20℃下げる設計。

PRTの開発はオランダの2getthere社とイタリアのZagato社。車体は2〜6人乗り。地面に埋め込んだ磁石でルートを誘導し、屋根のワイヤーで位置を補正する。リチウムリン酸鉄バッテリーで最大60km走行可能。

もう一つ、先見的な判断があった。Masdar Institute of Science and Technology。MITとの提携で設立した大学院。都市より先に教育機関を建てた。再エネと持続可能技術の修士・博士課程。定員600人の学生が、マスダールシティの最初の住民になる設計。都市がなくても、研究者は来る。

パイロットプランの想定人口は50,000人。PRTが全市をカバーし、太陽光発電で全電力をまかない、海水淡水化で水を確保し、廃棄物はゼロ。すべての要素が「完璧」を前提にしていた。

Execution:砂漠が設計図を食べる

2008年2月、着工。

6ヶ月後、リーマン・ブラザーズが破綻した。

アブダビの不動産市場も崩壊し、ムバダラの投資余力は大幅に縮小した。220億ドルの予算は187〜198億ドルに削減。完成目標は2016年から2025年に延期された。「ゼロカーボン」は「ローカーボン」に書き換えられた。

だがリーマンは「原因」ではなく「露呈」だった。財政危機がなくても、この計画には構造的な問題があった。

PRTの崩壊

PRTのプロトタイプは2010年に動き始めた。13台のポッドカーが、Masdar Instituteと北駐車場を結ぶ800mの区間を走った。技術的には動作した。

だが砂漠は設計書を読まない。

2getthere社はアスファルト舗装を要求していた。磁気トラッキングの安定性のため。マスダール側はリサイクルコンクリートの使用を選んだ。環境配慮のため。トラッキングは不安定になった。

PRTのドアのレールに砂が詰まった。砂漠で屋外運用する乗り物のドアに砂が入るのは、事後的には当然だ。

センサーは鳥に反応して停止した。運用マネージャーはこう説明している。「鳥がこのスペースに入ると、PRTは停止します。鳥にぶつかると思うからです」。2getthere社は高い壁で囲んだ密閉トンネルを要求していたが、マスダール側はオープンな設計を選んでいた。

そして最大の問題。ポディウムのコスト。PRTを地下で走らせるには、都市全体の下にアンダークロフト(地下構造物)を建設する必要がある。Phase 1でこれを実際に建設し、コストが判明した。全市展開は経済的に不可能。

2010年10月、PRT拡張の中止が発表された。プロトタイプが動いたその年に。

Phase 2からは、ポディウム設計を放棄し、地上レベルでの通常建設に切り替えた。フォスターの「地上7mの都市」は、1区画で終わった。

目標の段階的後退

計画の後退は一度に来なかった。小出しに来た。

2010年: 完成目標を2016年→2025年に延期。予算10-15%削減。「ゼロカーボン」→「ローカーボン」 2016年: マスダールシティを外部電力グリッドに接続。オフグリッド構想を放棄。完成度5%未満 2023年: デザインマネージャーのクリス・ワンが認める。「現状ではネットゼロの状態ではない。50%程度」

「ゼロ」が「ロー」になり、「ロー」が「50%」になった。目標が半分になるのに17年かかった。

不在の住民

50,000人の居住者を想定した都市に、2024年時点で住んでいるのは約5,000〜6,000人。大半はMasdar Instituteの学生と研究者。

日本総研の分析はこう述べている。「無理やり学生を住まわせたものの、誰もがその街から逃げ出してしまいました」。AIで室温がコントロールされ、すべてがデジタルで管理される環境。住民が自分自身でコントロールできるものがない。技術に最適化された空間は、人間にとって快適とは限らなかった。

メディアは「グリーン・ゴーストタウン」と呼んだ。「建てれば来る」という前提は、砂漠では成立しなかった。

People:石油と再エネの同じ顔

スルタン・アル・ジャベールは、この物語の中心にいる人物であり、矛盾そのものでもある。

Masdar CEO。ADNOC(アブダビ国営石油会社)CEO。2023年COP28議長。石油の利益で再エネ都市を建て、石油会社を率いながら気候変動会議の議長を務める。批判者は「利益相反」と呼んだ。擁護者は「現実主義」と呼んだ。

アル・ジャベールの視点に立てば、矛盾ではなくヘッジだった。石油国にとって再エネは「脱石油」ではなく「ポスト石油」のポートフォリオ。石油の富が続くうちに、次の収益源を育てる。ただし油価が下がればプロジェクト予算も下がる。石油に依存して脱石油を進めるという構造的な脆弱性は消えない。

「マスダールは再エネの波に乗ったのではない。波を作ったのだ」。アル・ジャベールの言葉。自負なのか、弁明なのか。

ノーマン・フォスターの設計は、建築としては美しかった。中世アラブ都市の知恵を現代技術で再解釈し、砂漠の気候に最適化した街路設計。ウインドタワーによる15〜20℃の冷却効果は実際に機能している。だがポディウムという構造的な選択が、経済的にスケールしなかった。プロトタイプとしては成功、インフラとしては破綻。建築家のビジョンとプロジェクトの経済性の間に、埋められない溝があった。

そして最も不在が目立つのは、住民だ。50,000人のために設計された都市に5,000人。95%の空席。フォスターのアソシエイトパートナー、ユルゲン・ハップは「マスダールは依然としてコンパクトで高密度な複合用途開発だ」と弁明する。「高密度」は、人がいてこそ成立する。

Legacy:都市は失敗し、企業は成功した

マスダールシティを「失敗」と呼ぶのは簡単だ。計画人口の10%。面積の1/6。カーボンニュートラル50%。PRT実現度0.4%(3,000台中13台)。どの数字を取っても、当初計画からは程遠い。

だが2つのことが、単純な失敗の物語を複雑にしている。

第一に、IRENA(国際再生可能エネルギー機関)の本部誘致。2009年、都市がまだ存在しない段階で、アル・ジャベールはエジプト・シャルムエルシェイクでの第2回準備委員会で、IRENAの本部をマスダールシティに置くことを勝ち取った。2015年に本部ビルが完成。32,000m²の複合施設。都市が完成しなくても、国際機関の旗がそこに立っている。「ハコ」がないうちに「旗」を立てた判断は、計画縮小後のマスダールシティに存在意義を残した。

第二に、Masdar社そのものの成長。都市計画は失敗したが、Masdarは再生可能エネルギー開発企業として世界最大級に成長した。2006年にマスダールシティ内の1基の太陽光発電所から始まり、2024年末時点で再エネポートフォリオ51GW。Al Dhafra太陽光発電所(2GW)は完成時に世界最大の単一施設だった。2030年目標は100GW。投資額は$30-35B。

プロジェクトは失敗し、組織は成功した。

マスダールシティで実証された技術には、世界に輸出されたものもある。45mウインドタワーのパッシブ冷却。狭い路地による日陰設計。パッシブデザインによるエネルギー消費40%削減。Rice大学のギネ教授はこう述べている。「マスダールで発明されたこれらの技術は、国際的に認知されるアイデアになった」。

同じ中東で、より大きな実験が進んでいる。サウジアラビアのNEOM。5,000億ドル。マスダールの23倍の予算。170kmの直線都市「THE LINE」。マスダールの教訓がNEOMに生かされるかどうかは、まだわからない。

学び:「ゼロ」の代償

マスダールシティの最も重要な教訓は、「ゼロ」という目標設定にある。

ゼロカーボン。ゼロウェイスト。ゼロエミッション。政治的なスローガンとしては強力だ。メディアの注目を集め、投資家の関心を引き、国際社会での地位を高める。アル・ジャベールが「波を作った」と言うとき、それはPRとしての成功を指している。

だが「ゼロ」は工学的目標としては機能しない。

エネルギー消費を80%削減するのと、100%削減するのでは、コストが全く違う。最後の20%は最初の80%より高くつく。最後の5%は、その前の95%の合計より高くつくこともある。マスダールシティは建物のエネルギー消費をアブダビ平均比40%削減した。水使用量は54%削減した。これらは実績として意味がある。だが「ゼロ」には届かなかった。「ゼロ」に届かなかったから「失敗」と呼ばれた。

40%削減を「成功」と定義していれば、マスダールシティの評価は変わっていた。

PRTは同じ構造の別の表現だ。13台のプロトタイプは800mの区間で動作した。技術的には成功。だが3,000台に拡張するには、都市全体の地下にインフラを建設する必要があり、そのコストは非現実的だった。プロトタイプが動くことと、全面展開できることは別の問いだ。13台で検証すべきだったのは「動くかどうか」ではなく「スケールできるかどうか」だった。

そしてもう一つ。プロジェクトの成否と組織の成否は、別の軸で動く。

マスダールシティは「都市」としては計画の10%しか実現していない。だがMasdar社は51GWの再エネ企業に成長し、世界最大級の再エネ開発者になった。「都市を建てる」という手段が失敗しても、「ポスト石油経済を作る」というミッションは別のルートで進んでいる。プロジェクトが計画通りに完成しなくても、そのプロジェクトが生んだ組織・技術・知見が、当初のミッションを別の形で達成することがある。

「ゼロ」を掲げたから注目が集まり、投資が集まり、人材が集まった。「ゼロ」を掲げたから実現できず、「失敗」と呼ばれた。同じ目標が、プロジェクトを生み、プロジェクトを殺した。

出典・参考資料

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