Execution Atlas
10 min read

4都市の下水道、同じ四半世紀に始まって150年後の運命が分かれた理由 — ロンドン・パリ・東京・ニューヨーク

1858年7月のロンドン。

テムズ川の悪臭が、議事堂の窓からあふれるカーテンを押し戻していた。6月から7月にかけての猛暑で、川の水温が異常に上がった。市中から流れ込む生活排水と工場の廃液がヘドロになり、潮の満ち引きのたびに岸にまとわりついた。議員たちはハンカチを鼻にあて、石灰で湿らせた布をカーテンに縫い付けた。それでも臭気は消えない。1854年、ジョン・スノウはSoho地区のBroad Street Pumpを止めてコレラ流行を抑えたばかりだった。1848-49年の第2次コレラ流行では、ロンドン市内で14,137人が死んだ。

そして議会は、わずか18日で動いた。

7月15日に財務大臣ベンジャミン・ディズレーリが法案を議会に提出。彼はテムズを「言語に絶する、耐え難き恐怖に満ちた、冥界のよどみ(Stygian pool)」と表現した。8月2日にRoyal Assent、Metropolis Management Amendment Act 1858 が成立。主任技師 Sir Joseph Bazalgette に、ほぼ無制限の予算権限が付与された。10年近く議会に放置されていた下水道計画が、悪臭のたった3週間で通った。

同じ時期、海の向こうの都市も動いていた。

パリでは1850年に、オスマン男爵の都市改造の一環として、技師 Eugène Belgrand が水と下水の設計契約を結んでいた。ニューヨークでは1849年のコレラ流行で5,000人以上が死に、市は70マイルの下水道を5年かけて敷設していた。東京の神田下水の着工は1884年、1877年から全国を襲ったコレラ大流行の後だった。

4つの都市が、ほぼ同じ四半世紀に、ほぼ同じ契機で、地下に手を入れ始めた。

ところが150年後、現役として稼働している規模と、抱える問題の種類が、まるで違う。

Mission:危機でしか動かない公共投資

4都市の下水道整備は、全てコレラか悪臭から始まっている。平時に地下インフラの予算が通ることは、歴史上ほとんどない。

ロンドンの事例が最も象徴的だ。Great Stink以前、ロンドンのMetropolitan Commission of Sewers は1848年から1855年までの7年間に6回解散・再編され、設計案は決まらなかった。Bazalgetteの初期案(1856年の彼のMetropolitan Board of Works 主任技師就任後に提出)は何度か議会に出され、何度も修正を求められた。それが1858年7月から8月の18日で、議会は彼の原案に沿って予算権限を付与した。

パリでは1832年のコレラ流行で約18,000人が死んだ。それでも、Haussmannが都市改造を本格化させるには1853年のナポレオン3世の政治決断を待つ必要があった。都市計画と下水道と水道が同じプロジェクトに統合されたのは、Haussmann個人の権力集中があったからに近い。

ニューヨークは1832年と1849年に、合計で約8,500人をコレラで失っている。それでも、市が本気で下水道の敷設を加速するのは1849年の第2次流行後だ。

東京の神田下水は、1877年から1879年の全国的コレラ流行(全国で約10万人規模の死者)を受け、1884年に着工する。日本初の近代下水道だが、着工までに7年かかっている。

4都市すべて、死者が可視化されて初めて予算が動く。下水道の経済学は、建設の費用対効果ではなく、政治の意思決定コストで決まる。

その意思決定の中身が、設計の思想を分けた。

Design:合流か分離か、「後から変えられない」判断

ロンドンの設計を見るとき、最初に驚くのは口径である。

Bazalgetteは1858年当時のロンドン人口を250万人と想定した。彼は口径計算で、まず1人あたりの汚水排出量を見積もり、その上で人口を倍の500万人まで伸ばした場合の容量を出した。そしてそこからさらに倍の裕度を取った。実質的に、現在人口の4倍を想定した設計である。

同時代の技師にとって、これは過剰だった。幹線の煉瓦使用量が増え、工費が約2倍に跳ねた。議会は1858年の全権付与直後にこの数字を見て動揺したが、Bazalgetteは譲らなかった。「やり直せないのだから、想定外のために余裕を取っておけ」という発想である。

結果、2026年現在のロンドン人口は約900万人。設計時の想定の4倍にほぼ達している。幹線はまだ耐えている。

一方、ニューヨークは逆の判断をした。

1849年に始まった大規模敷設は、資金と工期の制約が厳しかった。市は合流式下水管(combined sewer) を選んだ。汚水と雨水を同じ管で流すこの方式は、分流式に比べて建設費が約半分で済む。短期的に正しい判断だった。

170年後、その選択がCSO問題として跳ね返っている。

ニューヨーク市の下水道の約60%が、今も合流式である。1時間あたり0.1インチの降雨で、Newtown Creek では越流が発動する。年間12.7億ガロン(約480万立方メートル)の未処理混合排水が、1本の運河に流れ込む。22のCSO放流口のうち、わずか4つが総量の90%以上を担っている。

東京は中間的だ。神田下水以降、戦前は合流式が中心だったが、戦後の区部拡張では新規エリアに分流式を採用した。現在、23区の下水道総延長16,221kmのうち、都心部は合流式、周縁部は分流式と、エリアで混在する。CSO問題は存在するが、ニューヨークほど深刻ではない。

パリは独特だった。

Belgrandの設計では、下水道トンネルの断面を人が歩ける大きさにした。中央に水路、両脇に通路。地下水路の天井には上水道管、電信ケーブル、空気圧式郵便管まで通した。インフラの統合容器として設計された。パリは今も、下水道の中にメンテナンス技師と見学者が普通に歩いて入れる。

4都市が19世紀半ばに下した判断は、どれも「その時代のその状況では合理的」だった。だが、合理的だった判断の結果が、150年後にも引きずられる。これが下水道の最大の特徴である。

Execution:150年の工期と、1年で埋めた球

Bazalgette事業の工期を数字で追う。

1858年8月に権限付与、1859年1月に工事開始。1865年にCrossness Pumping Stationと主要interceptorが概成し、1875年に全線完工。17年かかっている。当初計画は6年、予算£3M。実績は17年、£4.2M。工期で約2.8倍、コストで約1.4倍。

工区の数字も残る。幹線82マイル(約132km)、ドレイン網1,100マイル(約1,770km)。使用した煉瓦は3億1,800万個。地上を剥がさずに掘るシールド掘削の原型が、この工区の一部で使われている。工区ごとに10人から30人の職人が張り付き、ピーク時には同時に20工区以上が走っていた。

パリは工期の性格が違う。

Belgrandが1855年に正式着任してから、1852年の142kmだった下水道網は、1869年に560km、1878年に600kmに拡張される。26年で約4倍。ただしパリの場合、「完工年」は定義しにくい。21世紀の現在も新規区間が増え続け、総延長は約2,100kmに達している。

東京の数字は、工期という概念からは外れる。

1884年の神田下水から始まり、1922年の三河島汚水処分場(日本初の近代下水処理場)を経て、1994年に23区の下水道普及率が100%に到達した。110年の工期である。2024年度末時点で総延長16,221km、処理場13、1日の処理量462.4万立方メートル。「下水道の建設」ではなく、「都市と並行する絶え間ない拡張」として進んできた。

ニューヨークも似ている。1849年から現在まで、ほぼ連続して拡張してきた。現在の総延長6,600マイル(10,620km)。ただしニューヨークは、合流式が足を引っ張っている。21世紀に入ってからの新規投資は、既存管の拡張ではなく、CSO対策のための別系統のストレージトンネルに向かっている。

東京には、別のモニュメントがある。

首都圏外郭放水路、通称G-Cans。1992年着工、2006年完工。全長6.3km、地下50m、5つの立坑と1本の調圧水槽(177m×78m×18m、59本の柱で天井を支える)。排水能力は毎秒200立方メートル。建設費約2,300億円。

ただしG-Cansは厳密には下水道ではない。治水専用のトンネルである。生活排水は通らず、雨水の洪水時にだけ稼働する。東京は下水道と治水を組織的に分離した。下水道局が汚水を、河川局が洪水を、別の施設で扱う。

19世紀にロンドンとニューヨークが選んだ「合流式」は、同じ管で両方を処理する発想だった。21世紀の東京が選んだのは、その逆である。別々に作る方が、長期的には柔軟性が高い。

4都市の工区の総延長と期間を並べると、下水道が「プロジェクト」ではなく「永続する基盤」であることが見える。工期で終わるものではない。

People:技師と市長、名前が残る側と残らない側

Joseph Bazalgette について、名前と設計図が残っている。彼は1819年生まれ、1856年にMetropolitan Board of Worksの主任技師に就任した39歳の時点で、既にロンドンの下水道計画に関わっていた。1858年の権限付与時には39歳。工事開始から1875年の完工時までの17年を、ほぼ全てこのプロジェクトに費やした。彼が設計した卵型(上部が広く下部が狭い)レンガトンネルは、低流量時にも流速が落ちない形状として教科書に載っている。

Eugène Belgrand は1810年生まれ、45歳でHaussmann配下に入った。元々は地質学者で、水源と地下水路の両方を扱える稀な技師だった。1855年に正式に水と下水の責任者に就任、1878年の死去までパリの地下を設計し続けた。彼の名前は、現在パリの地下鉄駅名(Belgrand駅)とともに残る。

対して、ニューヨークの下水道の初期設計者たちは、ほとんど名前が残っていない。

19世紀中頃のニューヨーク市下水道委員会(Croton Aqueduct DepartmentやDepartment of Public Works)には複数の技師が関わったが、ロンドンのBazalgetteのような単一の象徴的人物はいない。市の組織が複数回再編され、担当者も入れ替わった。合流式を選んだ判断の責任主体が、誰だったのか、記録からは特定しにくい。

名前が残らない構造は、意思決定が分散していたことを示す。

日本の神田下水を進めたのは、内務省衛生局だった。1884年の着工時、後に局長となる後藤新平(1857-1929)は27歳、入所して1年ほどの若手にすぎない。設計の実務は現場技師に任され、彼が「衛生」というコンセプトを政治に通す側に回るのは、1892年の衛生局長就任以降の話である。だが公衆衛生の語彙で下水道を正当化する枠組みは、この時代の衛生局で生まれた。後藤は1923年の関東大震災後の帝都復興計画でも中心にいた人物として知られる。

4都市の人物像を並べると、技師と政治家の役割分担が見える。

ロンドンは技師(Bazalgette)が主役で、政治家(Disraeli)は18日で予算を通す役。パリは政治家(Haussmann)と技師(Belgrand)が同格の二頭体制。ニューヨークは組織の判断で、個人は見えない。東京は現場技師(名前が残らない)と、衛生官僚(後藤新平ら)の分業。

技師の名前が残っている都市ほど、設計判断の責任所在がはっきりしている。責任所在がはっきりしている都市ほど、過剰設計のような長期合理的な判断が通りやすい。

Bazalgetteが4倍の裕度を取れたのは、彼が一人で全ての設計責任を負う構造だったからでもある。

Legacy:同じ150年を経て、全く別の課題を抱える

150年後の2026年、4都市は全く違う種類の問題と向き合っている。

ロンドンは、Bazalgetteの幹線がまだ現役である。設計時の想定人口250万を4倍とした裕度のおかげで、現在900万人の生活排水を処理できている。だが21世紀に入って、気候変動由来の集中豪雨と人口増加で、幹線の容量にようやく余裕がなくなった。対策は追加建設だった。2016年着工、2025年2月に稼働開始したThames Tideway Tunnel。全長25km、総工費£4.5-5 billion(約1兆円)。これはBazalgetteの幹線を置き換えるのではなく、補助するための新トンネルである。150年前の設計が、まだ本線として残り続ける。

パリは、下水道をインフラとして使い続けながら、観光資源にもしている。1867年に開館したMusée des Égouts(下水道博物館)は、現在も実際の下水道トンネルの一部で営業している。Victor Hugoの『Les Misérables』でジャン・バルジャンが逃げ込む下水道は、現実のパリ地下を舞台にしている。文化のレイヤーがインフラの上に乗っかり、予算を取る時の説得材料になる。

東京は、下水道と治水の分離を続けている。23区の下水道は保守・更新のフェーズに入り、老朽化した管の更新に年間数百億円が投じられている。G-Cansのような大型治水インフラは、気候変動対策として追加される可能性がある。

そしてニューヨークは、170年前の合流式の負債を今も返している。

Newtown Creek の年間CSO 12.7億ガロンを削減するために、市は2017年にCSO Long Term Control Planを策定した。計画の中心は、合流式区間の下に別の貯留トンネルを掘ること。最初のCSO貯留トンネルは、ブルックリンとクイーンズの境界に全長3.25マイル(約5.2km)、地下80〜130フィートで建設される。工費は数十億ドル規模。

これは、19世紀中頃にニューヨークが選んだ「安い方」の、150年遅れの請求書である。

分流式を選んでいれば、工費はおよそ2倍だった。それを合流式で約半分に抑えた。170年後、CSO対策として差額の数十倍を払っている。長期の割引現在価値を計算すれば、おそらく合流式のほうが高くついている。

4都市の150年の対照を並べると、下水道が映しているのはインフラの歴史ではなく、「後から変えられない判断」をどう扱うかの歴史であるとわかる。

学び:下水道が示す、修正不可能なパラメータの長期合理性

下水道は、長期合理性と短期合理性のトレードオフを、150年の時間軸で検証する実験場になっている。

Bazalgetteは短期合理性を切った。1858年の時点で2倍の予算と2倍の煉瓦を使い、議会に説明する手間と、同時代の技師からの批判を背負った。結果、150年後にロンドン市民900万人の下水を同じ幹線が捌いている。

ニューヨークは短期合理性を取った。1849年の時点で分流式より安い合流式を選び、工期を縮め、予算を抑えた。結果、170年後に数十億ドルの対策トンネルを掘っている。

同じ「下水道を作る」というプロジェクトでも、「後から変えられるパラメータ」と「後から変えられないパラメータ」の見分け方が、2つの都市で違った。

管の口径は、後から変えられない。地下の管を剥がして入れ替えるコストは、新設の数倍から数十倍になる。ロンドンは「管の口径」を変えられないパラメータとして認識し、過剰に取った。

管の方式(合流か分流か)も、後から変えられない。管を2本に増やすには、やはり地上を剥がす必要がある。ニューヨークはこの判断を「変えられる」と誤認した、あるいは、将来世代が払う気候変動由来の雨水コストを計算に入れなかった。

このトレードオフは、現代のソフトウェアプロジェクトにも同じ形で現れる。

データベースのスキーマは、後から変えにくい。1,000万レコードを格納した後にカラムを増やすのは、空のテーブルに追加するのとは異なる。初期スキーマで裕度を取っておけば、後の移行コストは減る。

APIの契約は、後から変えにくい。公開してクライアントが実装した後に変更すると、全クライアントが追従する必要がある。初期のAPI設計で、将来の拡張を見込んだフィールドを残しておけば、互換性維持のコストは減る。

文字コードは、後から変えにくい。Shift-JISで保存されたデータは、UTF-8に移行するだけで数ヶ月のプロジェクトになる。初期の判断が、何世代ものエンジニアを縛る。

Bazalgetteの発想は、「後から変えられない」と気づいたパラメータに対して、現在の予算よりも将来の自由度を優先する判断である。ニューヨークの発想は、「後から変えられる」と暗黙に仮定して、現在の予算を優先する判断である。

どちらが正しかったかは、150年経たないと分からない。それが、下水道が持つ最も残酷な特徴だ。

長期の判断を今する人は、その成果を見ることなく死ぬ。Bazalgetteは1891年に死んでいる。彼の設計が900万人の都市を支える姿を、彼は見ていない。ニューヨークで合流式を選んだ名も無き技師も、2017年のCSO Long Term Control Planを見ることなく死んだ。

150年後、別の人が払いを済ませる。

その払いが、ロンドンでは£50億規模の追加トンネル1本で済み、ニューヨークでは数十億ドル規模の継続投資になっている。

下水道の下に埋まっているのは、過去の判断の請求書である。

出典・参考資料

関連記事

Project Timeline