Execution Atlas
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Suica — 424駅3200改札を一夜で書き換えた、開発13年の話

2001年11月18日、始発と同時に首都圏424駅の自動改札3200余りが一斉に切り替わった。それまでの磁気式定期券に加え、非接触ICカード「Suica」が投入され、乗客は財布の中のカードを機械に触れさせて通り抜けるようになった。

準備は前夜から進んでいた。改札機・券売機・精算機を含む約1万台の関連機器を、始発までの数時間で一斉更新する。切替は1駅ずつではなく、面で一気にやる。当日ホームに立った鉄道員は、改札を通る乗客の一人ひとりを目で追い、「タッチしてください」と声をかけ続けた。

事前のモニターテストで、初期の通信障害率は磁気式の約20倍あった。その数字を、磁気式と同等まで押し下げるのに3年半かかった。押し下げた方法は、アンテナ改良でも通信規格変更でもない。ユーザーに向けた指示語を「かざす」から「タッチ」に書き換えたことだった。

Mission:磁気式で回っていた業務を、あえて壊す

JR東日本は1990年から、東京100km圏の主要駅で磁気式定期券と自動改札の本格運用を進めていた。

磁気式は日々ちゃんと動いていた。乗客は磁気券を投入口に差し込み、機械が読み取り、印字して裏面から出す。1980年代に確立した技術で、1990年代半ばには首都圏の改札業務の中核になっていた。

問題は保守と拡張のコストだった。磁気ヘッドは物理接触で読み書きするため摩耗する。ヘッドの清掃と交換が日々発生する。定期券は1枚ずつ印字するため、区間変更や更新のたびに券売機の稼働時間を長く占有する。首都圏の乗降人員は1990年代を通して伸び続けており、既存の磁気式の延長線では、10年後の需要に改札機の物理性能が追いつかない見通しがあった。

同時期、Sonyは非接触IC技術「FeliCa」の開発を進めていた。読み書きは物理接触なし。1秒間に1人を通せる処理速度が理論上は可能で、ヘッドの摩耗もない。1997年に香港のオクトパスカードで実装され、公共交通向けの非接触ICが商用フェーズに入っていた。

JR東内部で椎橋章夫らが要件を整理していく。首都圏の改札を100%置き換える。通勤ラッシュのピーク流量を落とさない。センターサーバとの通信が切れても駅は動かす。乗車券だけでなく、その先の決済まで載せられる基盤にする。

「乗車券を作る」ではなく「乗車券を含む決済プラットフォームを作る」。要件定義の段階で、プロジェクトの射程が磁気式の代替を大きくはみ出していた。

Design:センターと切れても改札は動く

設計の中心はふたつあった。ひとつは物理層。もうひとつはアーキテクチャ。

物理層は Sony との共同開発でFeliCaが使われた。無線通信の到達距離は10cm程度に抑え、複数枚のカードを同時に読み込む混信を防ぐ。カード内の暗号処理と運賃計算は0.2秒以内。1秒あたり1人が通り抜ける改札の物理性能に合わせて、通信・演算・応答をこの時間枠に詰め込む。

アーキテクチャ側の判断はより重かった。当時のITシステムは中央集権型が主流だった。改札機は薄い端末にして、判定処理はセンターサーバに集約する。開発と保守は楽になるが、通信断で全駅が止まる。

Suicaが採ったのは自律分散型だった。ID管理サーバ・駅サーバ・改札機の各層が、一定期間分の取引データを自前で保持する。通信が切れても、改札機はカードから残高情報を直接読み、その場で運賃計算と残高更新まで完結できる。センター側のデータ整合は、後で追いつけばいい。

「絶対に止められない」インフラでは、集約より分散に投資する。単一障害点をゼロに近づけるための追加コストは、停止した1時間の損失を保険料として買う判断だった。

もうひとつの制約が、100億円を超える初期投資の回収だった。

乗車券利用だけで回収を目指すと、値上げしない限り10年以上かかる。経営陣にプロジェクトを継続させるためには、より速い回収シナリオが必要だった。椎橋らは電子マネー・モバイル決済・生活決済への段階的展開を最初から絵に描き、そのロードマップと合わせて予算を通した。

野心的なビジョンで経営陣の期待をつなぎ、その裏で回収の道筋を数字で説明する。13年間の開発期間を守り抜くための、技術と同じ重さの設計だった。

Execution:「かざす」から「タッチ」へ

1994年2月から3月にかけて、首都圏の実駅で第1回のモニターテストが行われた。

被験者に非接触ICカードを配り、「読み取り部にかざしてください」と指示する。改札機のリーダーは通常の運用時と同等の性能に設定されている。技術仕様上は、カードをリーダーに近づければ0.2秒で通信が完了するはずだった。

結果は、通信障害率が磁気式のおよそ20倍。読み取りエラーで通れない乗客が続出した。

現場に立ったエンジニアが観察して回った。同じ「かざす」という指示に対して、人によってやることが違う。カードを高く上げてから下ろす人。リーダーの上を素早く通過させる人。手のひらごとカードを覆う人。通信時間0.2秒を確保できる動作もあれば、そこに至らずにカードが去る動作もある。

技術は仕様通り動いていた。動いていなかったのは、指示語と人間の動作のあいだだった。

翌年からの改良で、指示語が「タッチ」に書き換えられた。物理的に触れさせれば、通信時間は0.2秒で固定される。「タッチ&ゴー」という言葉と動作が、機械のUIとしてセットで規定された。1997年4月から11月の第3回モニターテストで、通信障害率は磁気式と同等まで下がった。

1998年、JR東日本は「ICカード出改札システムを2001年に導入する」と正式発表した。

そこから3年、本番システムの構築が走った。改札機・券売機・精算機を全面刷新する必要があり、投入する機器は約1万台。同時に、Suicaデポジット500円を含む発券・払戻の運用ルール、駅員の操作研修、乗客向けの案内ポスターまで整えていった。

2001年11月18日、始発時刻に424駅で一斉切替。首都圏で最も混雑する路線群の朝ラッシュを、切替直後に迎える。切替後の18日間で発行枚数は100万枚を超えた。想定より速いペースだった。

工期という意味では、1998年の発表から2001年の開始までは予定通り。ただし要素技術の検討開始から数えると13年。実装だけの工期ではなく、経営陣を説得し続け、モニターテストで指標を追い、投資回収のロードマップを描き直し続けた13年だった。

People:椎橋章夫と「大風呂敷」

椎橋章夫(1953年生)は、JR東日本の技術者として1980年代からICカード出改札の要素検討に関わり、同社IT・Suica事業本部副本部長・企画部長を務めてSuicaの開発を指揮した。工学博士。2013年からはJR東日本メカトロニクス代表取締役社長。

椎橋が繰り返し語る手法がある。「経営陣がワクワクする大風呂敷を広げつつ、その裏で損を出さぬように、100億円をこえる投資の回収の道筋を示す」。乗車券の延長でSuicaを説明していたら、13年は続かなかった、という趣旨のことも語っている。

Suicaの構想を語るとき、椎橋は乗車券から始めない。「駅を起点にした生活のICカード」から入る。改札を通り、駅ナカでコーヒーを買い、コンビニで買い物をして、電子マネーで決済し、いずれは行政サービスまで載せる。10年、20年先まで並べたロードマップを見せて、経営陣に「これをやると何が起きるか」を体験してもらう。

同時にその裏で、財務担当者向けの資料は緻密だった。500円デポジットの発行枚数と現金化サイクル、改札員人件費削減、印刷コスト削減、電子マネー展開後の想定手数料収入。ビジョンの高さと数字の細かさが、同時に手元にある。

Suica開発は2000年代にNHK「プロジェクトX」の題材にもなった。番組で描かれたのは、モニターテストで「これは無理だ」と社内で言われた1994年の障害率20倍の場面と、「かざす」から「タッチ」へ切り替えた後の第3回テストで、初めて磁気式と同等の数字が出た瞬間だった。技術者の勝利ではなく、指示語を書き換えたエンジニアの勝利として描かれた。

現場で並走した Sony側のFeliCa開発チーム、ハードウェアを納入した券売機・改札機メーカー各社、モニターテストの被験者になった通勤客と鉄道員。椎橋一人の物語ではないが、13年を1本の線でつないだ責任者が誰かと問われれば、椎橋の名前が返ってくる。

Legacy:乗車券をやめて、決済基盤に脱皮する

2001年12月6日、Suicaの発行枚数は100万枚を超えた。サービス開始から3週間足らずのことだった。首都圏の通勤定期券の一部が、そのままIC化されて動き出した格好だった。

2004年3月、Suica電子マネーが始まる。駅ナカのコンビニ、キオスク、飲食店で決済ができるようになった。同年10月に発行枚数は1000万枚を超えた。「駅の乗車券」だったカードが、駅を出た瞬間の買い物にまで拡張されていった。

2006年1月、モバイルSuica開始。おサイフケータイに埋め込まれ、カードを持たなくてもよくなった。2007年3月にはPASMOと相互利用が始まり、首都圏の私鉄・地下鉄・バスまで一体化した。2013年3月には全国相互利用サービスが始まり、Kitaca・PASMO・Suica・TOICA・manaca・PiTaPa・ICOCA・SUGOCA・はやかけん・nimocaの10種類が1枚で完結するようになった。

発行枚数の推移は、そのままプラットフォーム化の速度を映している。

1000万枚から先を並べれば、2006年1月に1500万枚、2009年10月に3000万枚。2011年11月には3700万枚に達し、SuicaカードだけでJR東日本営業エリア内の人口を上回った。乗車券のIC化として始まったカードが、地域の人口規模を突き抜けたのが開業10年の節目だった。

モバイルSuicaの立ち上がりはゆるやかだった。2007年時点で会員数は約50万人、Suica全体の2.4%にとどまる。ペースが一段階変わったのは2016年10月のApple Pay対応。以降、2019年に856万枚、2020年に1175万枚、2021年に1410万枚、2022年に1662万枚、2023年3月に2000万枚を突破する。財布からスマートフォンへの移行が10年遅れで顕在化した格好だった。

2025年3月時点で、Suicaカードは約1.1億枚、モバイルは約3300万枚、両者を合わせて1.4億枚を超える。相互利用対応の交通系ICカード全体では、2021年9月に累計2億枚を突破している。首都圏エリアの改札におけるIC化率は約98%に達し、乗客のほぼ全員がSuicaか相互利用カードでゲートを抜ける段階まで来た。1日の取引処理量は、Suicaを含む交通系IC全体でおよそ4000万件と紹介されている。

JR東日本のIT・Suica事業単体では、2023年3月期の営業収益が515億円、営業利益は123億円まで育った。100億円超の初期投資は、乗車券利用ではなく、その上に積まれた電子マネー・モバイル・生活決済の複層で回収された。

物理的な設計思想も書き換えられつつある。2026年度末から2027年春にかけて、Suicaは首都圏・仙台・新潟・盛岡・青森・秋田の6エリアを統合する。従来は各エリアの内部でしか使えなかったカードが、上野〜仙台のような長距離利用でも使えるようになる。実現のために、25年近く維持してきた自律分散型のアーキテクチャを、センターサーバ処理型に本格移行する。2030年代初めには、JR東日本の全駅Suica対応と、スマホ・タブレット端末を使った「どこでも改札」の展開が計画されている。

「絶対に止められない」という初期の制約は今も変わらない。ただしその制約を満たすための最適解は、自律分散から、性能が上がったセンター側の集中処理へと切り替わる。1990年代の設計判断が正しかったことと、2020年代にその判断を書き換える必要があることは、両立している。

学び:仕様と現場のあいだにある「言葉」を疑う

Suicaから取り出せる学びは1つに絞れる。

技術指標が悪化していると見えたとき、悪化しているのは技術ではなく、技術と現場をつなぐ「言葉」のほうかもしれない、という視点である。

1994年の第1回モニターテストで通信障害率が磁気式の20倍出たとき、技術者の第一反応は「通信仕様を改善する」だった。アンテナ設計、通信距離、暗号化のパラメータ。いずれも仕様書に書ける変数で、指標として測れる。改善の方向は無数にあり、どれかを追えば数字は少しずつよくなる。

現場を観察したエンジニアが引いた線は違っていた。通信仕様は仕様通り動いている。問題は「かざす」という指示が抽象的で、人によって物理動作がばらつくことだった。物理動作がばらつけば、通信時間0.2秒を確保できる場合とできない場合が混ざる。仕様書のどの数値にも現れない、指示語と人間動作の隙間が、20倍の障害率を作っていた。

「タッチ」に書き換えた瞬間、その隙間は消えた。物理的に触れさせるという指示は、人が解釈する余地を残さない。改札機に対する人間側の動作が一定化され、通信時間が0.2秒に固定される。技術仕様は1バイトも変えていないのに、指標は磁気式と同等に落ち着いた。

言葉が仕様の一部だった、と言い換えてもいい。

自分のプロジェクトについて問えるとしたら、こうなる。指標が悪いとき、それは技術の問題なのか、指標に取り込まれていない「現場に出る言葉」の問題なのか。「動かしてください」「押してください」「使ってください」といったユーザーへの指示が、人によって解釈が分かれる余地を残していないか。動作が一意に決まる言い方に置き換えたら、指標のうちいくつかは技術改善なしで消えるのではないか。

Suicaの13年の開発期間のうち、指示語を書き換える判断が下されたのは、たぶん1日か2日のミーティングだった。その1日が、その後の25年、1億枚超のカード、そして日本中の改札で毎日繰り返される数千万件のタッチを規定した。

大規模インフラの成否を決める判断は、必ずしも大規模な会議で下されない。

出典・参考資料

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