Execution Atlas
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三峡ダム — 世界最大の水力発電と、失われた140万の故郷

1992年4月3日、北京。全国人民代表大会で、三峡ダム建設案が採決にかけられた。

結果は賛成1,767、反対177、棄権664、不投票25。承認率67.75%。中国の議会としては前代未聞の低さだった。普段は政府案を満場一致で通す機関で、3分の1近い代表が「賛成」と言えなかった。ある代表は採決の前にこう漏らしている。

どう投票しようと、私たちは盲目のまま投票している。

世界最大の水力発電所は、それを承認する議員自身が「中身がわからない」と認めたまま動き出した。完成までに18年。沈めた町と村は1,500を超え、故郷を追われた人は公式発表で130万人、外部推定で190万人にのぼる。

電気と引き換えに何を支払ったのか。その勘定書は、いまも閉じていない。

Mission:なぜ始まったか

長江は、中国を養い、中国を殺してきた川だ。

1931年の大洪水は、流域で数十万人とも言われる死者を出した。1954年の洪水でも3万人以上が死んだ。一方で長江の水量は膨大で、ここに発電所を置けば桁外れの電力が取れる。治水と発電。この二つを一つのダムで同時に解こうという発想は、古い。1919年、孫文が著書で長江上流のダム構想に触れている。1956年には毛沢東が「高峡平湖を出ださん」と詩に詠んだ。峡谷をせき止めて、人工の湖を出現させる。半世紀以上、誰もが口にしながら誰も実行しなかった夢だった。

実行に踏み切らせたのは、電力だった。

改革開放で経済が走り出すと、電力需要が指数関数的に伸びた。1990年から2010年にかけてGDPは10倍を超える。石炭火力は限界に近づき、輸送と公害の負担も重い。この需要を一気に埋める切り札として、長江の三峡地域に22.5ギガワット、世界最大の水力発電所を置く案が浮上した。

旗を振ったのは李鵬首相。モスクワで水力発電工学を学んだ技術者出身の政治家で、このダムを自分の事業として推し進めた。要件は三つに整理できる。電気を作ること。洪水を止めること。そして、中国がこれを成し遂げたと世界に示すこと。最後の一つは技術要件ではなく、国家の威信だった。

Design:どう設計したか

三峡ダムの数字は、既存の水力発電所とは桁が違う。

  • 高さ181メートル(天端の海抜185メートル)、全長2.3キロメートル超
  • 貯水池の長さ600キロメートル。東京から大阪までを湖に変える長さだ
  • 貯水容量393億トン
  • 発電容量22.5GW。当時の世界最大
  • 1992年承認時の予算は約570億元(当時およそ83億ドル)

600キロメートルのダム湖は、もはや川ではない。一つの細長い内海だ。それを長江の渓谷に出現させるということは、谷沿いの集落も、畑も、寺も、まとめて水底に移すということを意味する。設計の本質は土木ではなく、選別だった。何を残し、何を沈めるか。

ダムの設計を縛った制約は、三つの方向から来た。

納期。電力不足は待ってくれない。早く貯水を始めれば早く発電できる。だから工程は前へ前へと圧縮された。

不確実性。三峡は地震断層帯の上にある。巨大な貯水が地殻に加われば、誘発地震の引き金になりうる。下流の生態系がどう変わるかも、富栄養化が起きるかも、当時の知見では精度よく予測できなかった。

不可逆性。これが一番重い。一度湖を作れば、沈んだ町は二度と戻らない。移した人を元の暮らしに戻すこともできない。誘発地震も生態系の変化も、後から「やっぱりやめます」が効かない。失敗できるが、やり直せない。

この三つの制約を、計画は十分に値付けできていただろうか。それを誰よりも早く、そして具体的に問うた人物がいた。

清華大学の黄万里。1911年生まれ、コーネル大学で修士、イリノイ大学で工学博士を取った河川工学者だ。彼は地質、堆砂、生態の観点から三峡ダムに反対し、1992年から93年にかけて江沢民に三度、手紙を書いた。長江が運ぶ大量の土砂が貯水池に溜まり、いずれ機能を損なう。誘発地震と生態系の破壊は避けられない。手紙はすべて無視された。

黄万里は反対派として大学を追われ、不遇のうちに歳を取った。2001年、89歳で病床に就いた彼が最後に絞り出した言葉が伝わっている。

三峡ダムは、絶対に造ってはならない。

李鵬と黄万里。どちらも水と土木を知り尽くした技術者だった。片方は国家を動かし、片方は黙殺された。違いは技術力ではない。立っていた場所だった。

Execution:どう作ったか

1994年12月14日、李鵬が現地で着工を宣言した。工事の最初の山場は、長江そのものを止めることだった。

1997年11月8日。前年から2年かけて掘った迂回水路に川の流れを移し替え、本流をせき止める日が来た。現場には約5万人が集まった。仮設の観覧台には江沢民と李鵬が立ち、双眼鏡で川面を見つめている。

合図とともに、約400台のダンプカーが動き出した。多くはキャタピラー社の巨大な車両だ。運転手たちは花崗岩の巨石を、せばまった最後の隙間に次々と落とし込んでいく。荷を一台分落とすたびに、川幅が少し縮む。岩を飲み込もうとする水と、岩を積み増す人間の競争だった。やがて流れは迂回水路へと折れ、長江の本流が初めて人の手で断ち切られた。

翌日のワシントン・ポストの見出しは、こうだった。Feat or Folly?(偉業か、愚行か)。当事者たちが祝杯をあげている瞬間にも、評価は割れていた。

工程は前倒しで進んだ。2003年6月に貯水を開始。2006年5月には堤体本体が当初計画より早く完成する。2012年、32基のメインタービンがすべて稼働し、全面運用に入った。労働力の集中投下が効いた。ピーク時で2万6千人が現場に張り付いている。

進度の裏で膨らんだのが、金だった。

1992年承認時の予算は約570億元。実績は2,000億から2,490億元(およそ290〜370億ドル)に達した。承認時のおよそ3.5〜4倍。表向きの説明はインフレと金利、規制変更だった。だが超過の相当部分は、計画が軽く見積もっていた二つの項目から来ている。環境対策と、移住の補償。どちらも竣工後まで支出が止まらず、予算は閉じる前にずるずると伸び続けた。

People:誰が率いたか

三峡ダムには、一枚の英雄像がない。代わりに、二人の技術者の対照がある。

李鵬は、処刑された共産党革命家の息子として生まれ、周恩来夫妻に育てられた。1948年にモスクワの動力工学院へ送られ、水力発電工学を修めて帰国する。電力畑を歩いて首相まで上り詰めた彼にとって、三峡ダムは技術と権力の両方を注ぎ込む生涯の事業だった。彼が国民代表大会に承認を求め、彼が着工を宣言し、彼が川を止める現場に立った。

その李鵬に三通の手紙を送り、黙殺されたのが黄万里だった。アメリカで最先端の河川工学を学び、土砂と地質の言葉でダムの未来を警告した男が、同じ技術者である首相に届かなかった。二人の差は、知識ではなく、政治の側にいたかどうかだ。

そして、この事業のしわ寄せを最も受けたのは、名前の残らない人々だった。

移住の補償は、紙の上では支払われた。だが現場は違った。Shengquan(神泉)村では、住民が受け取った家屋補償は評価額の半分に満たなかった。農村戸籍の世帯は、同じ建材費がかかるのに都市戸籍より少ない補償しかもらえない。雲陽県では、最良の農地が湖の底に沈んだ。

不満を訴えようと、農民たちは代表を選んで北京へ送り出した。陳情にたどり着く前に、代表5人が逮捕され、3人が逃亡した。

金は途中で消えてもいた。1993年から2004年のあいだに、重慶市と湖北省だけで移住資金の不正流用が327件見つかっている。ある推計では、移住予算のおよそ12%が腐敗に溶けた。一人の役人が1億2千万ドルを抜いたとされ、雲陽県では8人の官僚が収賄で解任された。故郷を失った人々に渡るはずの金が、その途上で抜かれていた。

Legacy:何を残したか

定量的な成果は本物だ。

三峡ダムは年間およそ1,000億kWhを発電する。中国の電力不足を一気に緩めた。22.5GWという世界最大の発電容量を実現し、600キロメートルの人工湖を運用する技術体系を中国にもたらした。洪水期には上流の水を貯めて下流のピークを削る。2020年の長江大洪水では、この調節機能が下流の被害を抑えたと評価された。電気と治水という当初の二大要件は、達成された。

問題は、計画書に値段の付いていなかった項目のほうだ。

貯水を始めると、周辺で小〜中規模の地震が増えた。黄万里が警告した誘発地震だ。流れを止められた湖では富栄養化が進み、藻類が繁殖した。長江の魚は産卵地を失い、個体数が激減する。2020年には流域で10年間の禁漁措置が始まった。専門家の一人は、その元凶を三峡ダムだと名指ししている。黄万里が手紙に書いた土砂の堆積も、長い時間をかけて貯水池の底に積もり続けている。

社会のコストは、もっと数えにくい。130万から190万の人が故郷を離れ、1,500を超える町と村が水没した。水底には、二度と掘り返せない文化遺産が沈んでいる。移住した農村の人々の多くは、移った先で暮らしの水準を落とした。

竣工は、終わりではなかった。環境対策の投資は今も続く。移住者の生活再建は20年を超えて尾を引いている。プロジェクトの実質的な期間を「着工から現在まで」と数えれば、すでに30年を超えた。短期の栄光と長期の負債が、同じダムの上に積み重なっている。

学び:誰が、値段の付かないコストを払うのか

三峡ダムは成功したのか。問いの立て方そのものが、このプロジェクトの教訓を含んでいる。

発電容量、発電量、洪水調節。測れる指標で見れば、ほぼ計画どおりに達成した世界最大の水力発電所だ。だがその達成は、測りにくいコストを別の誰かに付け替えることで成り立っていた。沈んだ町、追われた130万人、増えた地震、消えた魚。これらは計画の貸借対照表に、最初から載っていなかった。

単一の成功指標を最優先すると、指標の外にあるものが見えなくなる。発電量という一本の物差しで測れば、移住者の生活も、川の生態系も、桁の小さい誤差に丸められる。誤差を背負わされるのは、たいてい意思決定の場にいない人々だ。北京へ向かった農民代表が逮捕されたのは、その構造を象徴している。

そして不可逆性は、議論を待ってくれない。黄万里の警告が正しかったかどうかは、貯水池に土砂が溜まりきった頃に確定する。だが湖はもう存在し、町はもう沈んでいる。検証が終わる前に、やり直せない選択は実行されてしまった。

あなたの仕事に、後から値付けされるコストはないだろうか。スケジュールと予算という測りやすい指標の裏で、誰かに静かに付け替えている負債はないだろうか。三峡ダムは、その問いを600キロメートルの湖の大きさで突きつけてくる。

黄万里は反対し、黙殺され、その予言の答え合わせを待たずに死んだ。彼の最後の言葉だけが、いまも湖の上に残っている。

出典・参考資料

Project Timeline