Nupediaは1年で21記事。Wikipediaは同じ1年で2万記事。約1000倍の差。
同じチーム、同じ資金、同じミッション、同じ月に始まったふたつの百科事典プロジェクトが、これだけの差をつけた。前者は「専門家の7段階査読で正確な百科事典を作る」という真面目な計画だった。後者は前者の「下書き置き場」として、実験的に作られた。
2001年1月15日、下書き置き場の方が公開された。3年後、本体は閉鎖された。
Mission
1999年、Jimmy Walesはドットコムの余剰資金でひとつの構想に取り組んでいた。「フリーな百科事典を作る」。当時の百科事典市場はBritannicaが支配し、1セットが1000ドル以上した。オンライン版もCD-ROM版も、家庭で買うには高すぎた。
Walesは金融トレーダー出身で、シカゴでオプション取引をしていた男だ。1996年に共同で立ち上げたポータル会社Bomisで得た資金を、この百科事典プロジェクトに回した。
編集長として招いたのが哲学博士のLarry Sangerだった。オハイオ州立大学で認識論を研究し、2000年に博士号を取得したばかりの31歳。学術的な信頼性の担保をSangerに任せた。
2000年3月、Nupediaが立ち上がる。設計思想は明確だった。専門家だけが記事を書く。7段階の査読を経る。中立性・出典・独自研究禁止を厳格に適用する。Britannicaに勝つには、Britannicaより真面目にやるしかない。
1年後、記事数は21。
査読プロセスに数ヶ月かかった。学者は無償で書く動機がなかった。Sanger自身が査読で疲弊した。「このペースだと、百科事典として最低限の網羅性に到達するまで数百年かかる」という試算まで社内で回った。
Design
2001年1月10日、SangerがNupediaのメーリングリストにひとつの提案を投げた。「wikiという技術がある。誰でも編集できる仕組みだ。Nupediaの下書き置き場として、この方式のサイトを並行運用してみないか」。
wikiは1995年にWard Cunninghamが作ったWikiWikiWebで使われていた無名の技術だった。当時のプログラマ界隈以外では誰も知らない。学界からは「無政府主義的な仕組み」と評されていた。
Walesは了承する。数日でwikiソフトウェアがインストールされ、1月15日に公開された。名称はSangerが「Wikipedia」と付けた。目的は明確だった。Nupediaの査読前記事を、誰でも書けるサブサイトで量産する。
最初の月で1000記事、9月時点で1万記事、最初の年で2万記事。
Nupediaの約1000倍のスループット。品質は当然低い。誤字も、偏見も、明らかな間違いも大量に入り込む。しかし訂正もまた誰でもできる。荒らしはロールバックで消える。Sangerが起草した基本方針が3つある。
Neutral Point of View(中立的視点)。あらゆる論争は「AとBがこう主張している」の形で書く。編集者の意見は書かない。
Verifiability(検証可能性)。すべての主張には出典が必要。独自研究は禁止。
Ignore All Rules(すべての規則を無視せよ)。もし規則が百科事典を良くする妨げになるなら、規則を無視して構わない。
原則と例外の両輪。硬直したルールブックではなく、判断を許容する骨組み。
Nupediaの側では査読者たちが困惑していた。自分たちが数ヶ月かけて書く記事を、素人が数時間で書いてしまう。しかもGoogle検索でNupediaより上位に来る。
2001年9月時点でWikipediaの記事数は約1万。Nupediaは25。差は400倍まで開いた。
Execution
wikiの決定的な強みは、失敗の可逆性だった。
すべての編集は差分として保存される。荒らしがトップページを書き換えても、1クリックで元に戻せる。悪意ある編集者を追跡できる。履歴は永久に残る。ドキュメントのバージョン管理を、コンテンツ制作に持ち込んだ形だった。
しかし可逆性が信頼を担保しなかった事件が起きる。
2005年5月、Wikipediaの英語版にJohn Seigenthalerの伝記記事が投稿された。「1960年代にケネディ兄弟の暗殺容疑者だった」「その後13年間ソ連に住んでいた」。すべて嘘だった。SeigenthalerはRFKの元補佐官で、ジャーナリストとして今も活動している存命の人物である。
記事は4ヶ月間、誰にも修正されずに放置された。Seigenthaler自身がUSA Today紙に告発の寄稿を出したことで発覚する。「私は78歳。Wikipediaによって暗殺犯にされた」。
Wikimedia Foundationは対応を迫られた。匿名編集者による新規記事作成を禁止(アカウント登録を必須化)。Biographies of Living Persons(存命人物の伝記)ポリシーを新設。名誉毀損リスクの高い記述には即座に削除の権限を与える。
2007年、Essjay事件。管理者権限を持つ主要編集者の一人が、プロフィールに「アメリカ東部の神学の終身雇用教授、神学博士」と書いていた。実際はテネシー州の24歳、大学中退だった。The New Yorker誌が本人を取材した記事を出した後に発覚する。Essjay事件は「編集者の権威をどう検証するか」という問いを突きつけた。答えは「検証しない」だった。Wikipediaは編集者の身分を要求しない。書かれた内容だけで判断する。
同じ2007年、Bicholim紛争という記事が投稿された。17世紀にゴア地方で起きた戦争を詳細に描いた記事で、地図・年表・双方の司令官の名前・戦死者数まで揃っていた。参考文献も付いていた。2009年に「Good Article」認定を受ける。
存在しない戦争だった。すべて創作。2013年1月、6年近く経ってから、ある編集者が「参考文献の書籍が実在しない」ことに気づいて削除された。
Wikipediaの信頼性は、こういった失敗を積み重ねながら形成された。
2005年12月、Nature誌が科学記事の正確性を調査する研究を公開した。専門家が42記事のWikipedia版とBritannica版を比較する。誤りの数は、Wikipedia平均4件、Britannica平均3件。「差は思ったほど大きくない」というのが結論だった。
Britannicaは反論する。しかし業界の受け止め方は変わった。「素人が書いた無料の百科事典」が、200年以上続く老舗と同水準の正確性を持ちうる。
People
創業者の関係は続かなかった。
Sangerは2002年、Bomisの財政悪化で職を失った。Nupediaの編集長職も、Wikipediaの正式な役割も、そこで終わる。
数年後、Sangerは公にWikipediaを批判する側に回る。2006年9月に自分自身のプロジェクト「Citizendium」を発表し、2007年3月に正式公開した。実名登録制、専門家査読ありのWikipedia代替。「Wikipediaは反エリート主義に堕落した」と主張した。Citizendiumは記事数1万8千程度でスケールせず、事実上停止している。
2019年、Sangerはブログにこう書いた。“Wikipedia is broken beyond repair.”(Wikipediaは修復不可能なまでに壊れている)。かつて自分が「Neutral Point of View」を書いた場所を、名指しで批判する立場になっていた。
Walesは残った。しかし2003年6月、Bomisから切り離してWikimedia Foundationを設立し、非営利化した。ここで大きな判断があった。広告を入れるか、寄付モデルにするか。
スペイン語版コミュニティは2002年、Bomisの広告導入への反発から分裂している。Enciclopedia Libreとして独立したフォーク版が一時的に生まれた。この事件がWalesの選択を決めた。「Wikipediaを見に来る人に広告を見せない」。以後、寄付とグラント、後にはEnterprise収入で運営する構造が固まる。
現在のWikimedia Foundationは640名超のスタッフを抱え、年間予算は約1.8億ドル。Googleの18万人、Metaの6万人と比べれば桁違いに小さい組織で、月間20億ユーザーを支える。
だが本体の労働力は、そこにはいない。過去12ヶ月にアクティブな編集者は4万6千人以上。全員がボランティア。編集者の8割は男性、半分がヨーロッパ在住、5分の1が北米。この偏りは「システミック・バイアス」と呼ばれ、コミュニティ内で常に議論されている。
Legacy
2012年1月18日、英語版Wikipediaがブラックアウトした。24時間の全面停止。理由は米国下院のSOPA法案と上院のPIPA法案への抗議だった。両法案は「著作権侵害を助長する」と判断されたサイトを政府がブロックできる仕組みを含んでいた。Wikipedia側は、この基準では自分たちも標的になりうると判断した。
決定に至るまで72時間、1800人以上の編集者がオンラインで議論した。Wikipedia史上最大規模のコミュニティ討議になった。結論は「実行する」。ブラックアウトの日、Wikipediaを開くと真っ黒な画面と抗議文だけが表示された。
SOPA・PIPAは撤回された。以後、Wikimedia Foundationは「道具、決定はコミュニティ」というガバナンスモデルを強化していく。
2022年、Wikimedia Enterpriseが始まる。GoogleやAmazon、そしてOpenAIのようなAI企業が、Wikipediaのデータを大規模に商用利用する際の有償APIだ。本体の記事は引き続き無償で公開される。企業向けに専用のインフラを提供して料金を取る。寄付以外の収益源が生まれた。
生成AIの時代に入って、Wikipediaの価値は変わった。ChatGPTもClaudeもGeminiも、学習データの主要な柱にWikipediaを含んでいる。CC BY-SAライセンスで再利用が保証されているから、これができる。Wikipedia自身が誰かのプロダクトになるのではなく、あらゆるAIプロダクトの下敷きになった。
25年前に「フリーな百科事典」と書いた憲章の解釈が、書いた本人たちが想像していなかった規模で実現していく。
学び:副産物が本体を食い破るとき
Wikipediaは、Nupediaの下書き置き場として生まれた。
Sangerが2001年1月にWalesに送った提案は、「メインプロジェクトを補助するサブサイト」の提案だった。Walesの承認も、その位置づけで下されている。誰も「これが本体になる」とは考えていなかった。
数週間で、副産物の記事数が本体を追い抜いた。数ヶ月で、Google検索の順位を奪った。1年で、約1000倍の差がついた。
この状況で組織が取れる選択肢は3つあった。
Nupediaの査読プロセスを緩和して生産性を上げる。しかし査読を緩めればNupediaの存在意義(=正確性)が消える。
Wikipediaを廃止してNupediaに戻す。しかし数千人のボランティア編集者がすでに動いていて、コミュニティを解散させることは事実上できない。
Wikipediaを本体として扱う。Nupediaは徐々に閉鎖する。
3つ目が選ばれた。決定は明確な会議ではなく、参加者数と編集数の勾配で自然発生的に起きた。予算の付け方、Sangerの時間の割り方、サーバーの増強、すべてがWikipedia側に流れていった。
副産物が本体を食い破る現象には、共通のパターンがある。
副産物は最初、本体の制約を免除されている。品質基準が低い、期待値が低い、失敗のコストが低い。だから実験ができる。実験ができるから、想定外の使い方が生まれる。想定外の使い方が本体の想定を超えるスケールを持ってしまうと、組織は乗り換えるしかなくなる。
Amazonの倉庫システムがAWSになった。Slackはゲーム会社の社内ツールから生まれた。YouTubeは動画デート機能として始まった。Facebookは大学名鑑の代替として作られた。
Wikipediaが特殊なのは、副産物の側が本体を明示的に殺したことだった。Nupediaは2003年9月に閉鎖されている。単なる縮退ではなく、意図的な終了だった。
自分が今かけている工数の中で、「これは実験だから」と言い訳して回しているものはないか。それが本体より速く成長していないか。成長していたら、どちらが本体か、もう一度問い直せるだろうか。
25年前、副産物のwikiに「Wikipedia」と名前を付けた瞬間、Sangerは無意識にこの問いに答えていた。副産物には別の名前を与える。名前は独立を予告する装置だった。
本体を守るために、本体になれる副産物を潰す組織は多い。副産物を本体にする勇気は、どこから来るのか。
Sangerは後にWikipediaを激しく批判したが、彼が命名した瞬間に、彼自身がwikiを本体候補として位置づけていたことは変わらない。名前を付ける行為が、その後の25年を決めた。
出典・参考資料
- Wikipedia「Wikipedia:Statistics」 (https://en.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:Statistics) — 記事数・編集頻度・ページビュー等の統計
- Wikipedia「History of Wikipedia」 (https://en.wikipedia.org/wiki/History_of_Wikipedia) — 創設経緯・Nupediaからの移行
- Wikipedia「Nupedia」 (https://en.wikipedia.org/wiki/Nupedia) — 前身プロジェクトの詳細と結末
- Britannica「Larry Sanger」 (https://www.britannica.com/biography/Larry-Sanger) — Sangerの経歴と貢献
- Wikimedia Foundation「Financials」 (https://wikimediafoundation.org/who-we-are/annualreport/2020-annual-report/financials/) — 予算・スタッフ規模
- Wikipedia「Wikipedia Seigenthaler biography incident」 (https://en.wikipedia.org/wiki/Wikipedia_Seigenthaler_biography_incident) — 2005年信頼性事件
- Wikipedia「Wikipedia:External peer review/Nature December 2005」 (https://en.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:External_peer_review/Nature_December_2005) — Britannica比較研究
- Wikipedia「Wikipedia:Blackouts」 (https://en.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:Blackouts) — SOPA・PIPAブラックアウトの経緯
- Wiki Education Foundation「Diversifying Wikipedia’s U.S. editors」 (https://wikiedu.org/blog/2023/08/11/diversifying-wikipedias-u-s-editors/) — 編集者の性別・地理分布
- Larry Sanger’s Blog「My Role in Wikipedia」 (https://larrysanger.org/role-in-wikipedia/) — Sanger本人による回顧と後年の批判