Execution Atlas
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設計図が完成する前に着工した代償 — ベルリン空港はなぜ14年かかったのか

2006年9月5日、着工。

2011年10月30日、開港予定。

2020年10月31日、実際の開港。

29年。1992年の計画開始から、ベルリン・ブランデンブルク空港(BER)が旅客を受け入れるまでにかかった年数。9つの延期。初期予算€28.3億に対して最終コスト€65〜73億。超過倍率、2.3〜2.6倍。

ドイツは「工業大国」と呼ばれる。自動車産業、機械加工、精密製造。その国が、空港一つを14年かけて建てた。

Mission:3つの空港を1つに

1989年、ベルリンの壁が崩壊した。東西に分断されていた首都は一つになり、東ドイツは消えた。

だがベルリンには、空港が3つあった。

西ベルリン用のテーゲル国際空港(TXL)。歴史的なテンペルホーフ空港(THF)。そして旧東ドイツのシェーネフェルト空港(SXF)。分断の痕跡がそのままインフラに残っていた。

統一ドイツの首都として、一つの巨大な空港が必要だった。政治的・象徴的な意味でも、実務的な効率でも。1992年、計画が正式に動き出す。

既存のシェーネフェルト空港を核にして拡張する。ターミナル面積約260,000㎡。年間旅客処理能力2,700万人。費用は€28.3億。

誰もがこれを「新しいドイツの玄関口」と呼んだ。

Design:3つの選択が全てを決めた

ガバナンスの構造

BERはベルリン州・ブランデンブルク州・連邦政府の三者が共同で所有・運営する、半官半民の空港会社(FBB)が担った。

監督委員会に政治家が並んだ。ベルリン市長、ブランデンブルク州首相、連邦大臣。技術を深く知る専門家は少ない。設計変更が提案されるたびに政治的議論になり、技術的な判断よりも政治的な判断が優先された。

防火システム

設計の核心にある選択が一つあった。

従来の空港の防火システムは、火災時に煙を上方へ排出する。煙突の原理。単純で実績がある。

BERは違う方向を選んだ。煙を下方へ、床下の18kmに及ぶダクト網を通じて吸い出す。ターミナルの外観をすっきりさせるためだった。ガラス張りの美しい天井に煙突穴を開けたくなかった。

この「下方吸引型」煙排出システムは、当時世界に前例がなかった。Siemens社とBosch社が制御システムを担当した。18kmのダクト。複雑なコンピュータ制御。世界初の技術。

発注の構造

一般的な大型建設では、ゼネコンが全体を管理する。BERは違った。

250社以上の小規模建設会社に分割発注した。コスト削減が目的だった。しかしゼネコンがいないと、調整の責任が宙に浮く。配管と電気が干渉しても、誰が最終決定するのか曖昧になる。

2006年9月5日。着工。設計はまだ完成していなかった。

Execution:9年間の連鎖

2012年:開港26日前の中止

工事は進んだ。ターミナルは形を成した。旅客向けの案内看板が設置された。航空会社との移行計画が具体化した。

2012年5月8日。開港26日前。FBBは発表した。開港を中止する。

防火システムに「重大な欠陥」が発見された。

TÜV(ドイツ技術検査協会)の検査で、バックアップ発電機がスプリンクラーシステムへの十分な電力を供給できないと指摘された。自動ドア制御も誤作動した。18kmのダクトには多数のリークがあった。下方吸引型のコンピュータ制御は、実装が機能しなかった。

開港は中止。以降、9回延期が繰り返された。

2012年:Imtech破産

主要な電気・技術設備の施工会社Imtech Germany GmbH & Co. KGが経営困難に陥った。

BERの防火システム工事を担っていた会社だ。破産により、工事は宙に浮く。施工されたシステムの欠陥責任も不明確になった。新しい業者が入れば、また一から学習する。

2014年:資格詐称の発覚

防火システムの設計責任者、Alfredo di Mauro。彼の名刺には「Ingenieur(エンジニア)」と記されていた。

2014年5月、FBBは彼を解雇した。理由を告知した解雇通知には、こう書かれていた。「重大な設計上の欠陥」と「信頼関係の最終的な崩壊」。

調査の結果、di Mauroは正式なエンジニアの資格を持っていなかった。彼の実際の資格は「Technischer Zeichner(テクニカル・ドラフツマン、製図技術者)」だった。エンジニアと同じ資格ではない。

世界初の下方吸引型防火システムを設計した人物は、エンジニアではなかった。

防火システムの再構築費用。FBBは「9桁」とだけ発表した。1億€以上。

2020年:パンデミックの中での開港

2020年5月、ようやく運用許可が下りた。

10月31日、正式開港。

その頃、世界は新型コロナウイルスのパンデミックの中にあった。欧州での感染拡大第二波。航空需要は歴史的な低水準にあった。14年かけて建てた空港が旅客を迎えた日、利用者はほとんどいなかった。

テーゲル空港はBER開港直後の2020年11月8日に閉鎖された。テンペルホーフは2008年に既に閉鎖され、現在は公園になっている。

People:政治家が管理する専門職の仕事

BERを理解するには、監督委員会の構造に戻る必要がある。

技術的な問題が発生するたびに、委員会が会議を開いた。委員のほとんどは政治家だった。問題の技術的深刻さを評価する専門知識がない。評価できないから、「もう少し待てば解決するだろう」という判断が繰り返された。

問題を見てきた専門家が「これは解決できない」と言っても、政治家は「次の選挙まで開港できないと困る」というプレッシャーを持ち込んだ。

プロジェクト管理の最高責任者(Projektleiter)は、2006年から2020年の間に何度も交代した。引き継ぎのたびに問題の経緯が薄れ、「前任者の責任」として処理された。

di Mauroの資格詐称は、2014年まで発覚しなかった。なぜか。監督委員会に技術的な審査ができる委員がいなかったからだ。名刺に「エンジニア」と書いてあれば信じた。

Legacy:何が残ったか

BERは今、機能している。2024年の旅客数は2,550万人。ドイツ第3位の空港として定着した。

しかし「ドイツのインフラ失敗」の象徴として、世界に刻まれた。プロジェクト管理の教材として世界中のビジネススクールで引用される。建設業界の悪夢として記録された。

ベルリン・テーゲル空港は閉鎖後、「テーゲル都市計画プロジェクト」として再開発が進んでいる。旧飛行場跡に研究施設・住宅・公園を作る。滑走路はサイクリングコースになった。

学び:設計が終わる前に着工する代償

BERの失敗は複数の要因の重なりだ。しかし一点を選ぶとすれば、「設計が完成する前に着工した」ことに尽きる。

2006年の着工時点で、防火システムの設計は確定していなかった。ターミナルの詳細設計も固まっていなかった。それでも着工した。「着工」という政治的事実を作るために。

一度工事が始まると、設計変更のコストは急増する。すでに施工された壁や配管を変更するのは、設計段階の変更より何十倍もかかる。設計の未完成が、施工後の大規模改修を生む。改修が予算を食い、工期が延びる。延期が信頼を失い、政治的プレッシャーが増す。プレッシャーが判断を歪め、再び問題が起きる。

「早く着工する」という決定は、後に「遅く完成する」という結果と交換された。

防火システムの設計者が資格を持っていなかったのは「運が悪かった」のか。違う。監督委員会に技術的な審査能力がなければ、資格詐称は見抜けない。ガバナンス設計の失敗が、資格詐称を通り抜けさせた。

ガバナンス・技術選択・発注構造。三つの設計上の判断が2006年に下された。14年後の失敗は、2006年の設計図に既に書かれていた。

出典・参考資料

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