水深1,500メートル。海底からさらに5,500メートル下の地層に開けた穴。直径は約25センチ。
そこから490万バレルの原油が、87日間、止まらなかった。
2010年4月20日午後9時47分、メキシコ湾の半潜水式掘削リグ「ディープウォーター・ホライズン」で噴出が起きた。リグは36時間燃え、4月22日朝に沈んだ。11人が死亡、17人が負傷。リグの建造費5億6,000万ドルは海の底に沈み、原因企業BPが最終的に計上した事故関連コストは616億ドルになった。
4つの独立した安全装置が、同じ夜に、同じ方向に倒れた話である。
Mission:深海石油時代の到達点
1990年代後半。北海とアラスカの油田は成熟期に入り、米国メジャー各社の埋蔵量は減り続けていた。次の油田は深い海の底にしかない、というのが業界の共通認識だった。
水深300メートルまでは固定式プラットフォームで届く。それより深くなると、海底に固定せずに掘る浮体式リグが必要になる。波と潮流のなかで、海底の井戸口の真上に1ミリの誤差もなく止まり続ける装置。1990年代後半、これを実現する半潜水式リグの第5世代が登場し始めた。
ディープウォーター・ホライズンはその一つだった。発注はR&Bファルコン社(後にトランスオーシャンに吸収合併)、建造は韓国・蔚山の現代重工業。1998年12月着工、2000年3月起工、2001年2月23日引渡し。建造費は5億6,000万ドル。最大稼働水深2,438メートル、最大掘削深度10,668メートル。エベレストの山頂から海面まで降ろし、さらに2キロ地下まで掘り進む深さである。
引渡しと同時にBPが3年契約でリース。以後3度の延長で2013年までの長期運用が決まっていた。1日あたりのリース料は約100万ドル。
2009年9月、メキシコ湾Tiber油田で水深1,259メートル、掘削深度10,683メートルという当時の世界記録を達成する。深海掘削における名声を確立したリグだった。
その7ヶ月後、別の井戸の仕上げ作業中に、それは爆発した。
Design:単一の井戸を二重底にしない選択
問題の井戸はマコンド・プロスペクト(MC252)。ルイジアナ州沖約66キロ、水深1,522メートル。掘削計画は2010年2月から3月にかけてのおよそ51日間、予算は約9,600万ドル。
最初に予定通り進まなかったのは地質である。マコンドの地層は弱く、ガスの逸出、ドリルパイプの拘束、循環泥の損失が次々と発生する。複数の中断と迂回設計を経て、4月9日にようやく目標深度の18,360フィート(5,596メートル)に到達した。この時点で、計画より45日遅延、予算は5,800万ドル超過していた。
仕上げ工程で、BPは設計判断を求められた。井戸の最終ケーシング(パイプ)構造を、ロングストリングにするか、ライナーとタイバックの二段構成にするか。
ロングストリングは、海面下の井戸口から底まで一本のパイプを通す方式。シンプルで早い。バリアはセメントとシール組立の2層。
ライナーとタイバックは、底に短いパイプを通し、その上に別のパイプをかぶせる方式。重なる部分が4層のバリアになる。設計の複雑度は上がり、工期は7〜10日延びる。
BPはロングストリングを選んだ。理由のひとつは工期短縮。米大統領委員会の報告書は、当時のBP社内メールから次の一節を引用している。
What could possibly go wrong? (何が悪くなる可能性があるんだ?)
セメントの設計は専門業者のハリバートンが担当した。窒素を泡として混入した軽量フォームセメントで、量は最小限。井戸のパイプを中心に保つセントラライザ(位置決め部品)は本来21本が推奨されていたが、現場で使えたのは6本だった。
ハリバートン社内では事前テストでこのセメント配合の不安定性が確認されていた、と後の調査が明らかにする。その結果はBPに完全な形では届かなかった。
仕上げ工程は4月20日に入った。
Execution:21時47分の連鎖
その日のドリルフロアには、BPの「カンパニーマン」(井戸サイトリーダー)2名が常駐していた。昼勤がロバート・カルザ、夜勤がドン・ヴィドリン。ヴィドリンは50代後半、現場経験30年超。判断を任される側の人間だった。
午前、ハリバートンがセメントを打設し、初期評価では「成功」と判定された。次は最終的なネガティブ圧力テスト。井戸内部の圧力を意図的に下げ、外から流体が漏れてこないことを確認する手順である。漏れていなければセメントとシールが効いている。漏れていれば、もう一度セメントを打つ。
17時頃、1回目のテスト。ドリルパイプ側に1,400psiの圧力が残ったまま、23バレルの泥が戻ってきた。明確な異常だった。
19時頃、ヴィドリンは「キルライン」と呼ばれる別の配管経由で2回目のテストを実施するよう指示した。こちらは圧力ゼロを示した。ドリルパイプ側はまだ高圧のまま、キルライン側はゼロ。物理的には矛盾する。
トランスオーシャンの現場クルーの一人が「ブラダー効果」という説明を持ち出した。井戸内の泥の重さがゴム膜のように圧力を遮断している、という仮説。業界内で正式に検証された理論ではない。だがその場にいた誰も、より良い説明を持っていなかった。
ヴィドリンはテスト合格と判断した。
20時頃、井戸はすでに静かに流入を始めていた。ドリルフロアの泥ピットの液量計に小さな増加が出ていたが、夜のシフト交代と同時に進む通常作業の中で見逃された。
21時45分、ガスが泥ポンプの圧力センサーに到達し、警報が鳴り始めた。
21時47分、泥とガスがドリルフロアに噴き出した。
操業マニュアル上は、この段階で「ダイバータ」を起動して噴出物を船外に放出し、同時にブローアウト・プリベンタ(BOP)の遮断ラム(パイプを切断するブレード)を作動させる。だがガスはすでにライザー(海底から水面までの送出管)の上端に達し、エンジン室の空気取り入れ口に吸い込まれていた。
ディーゼル発電機がガスで過給され、暴走した。火花。最初の爆発。
11人が死亡した。多くはドリルフロアと泥ポンプ室にいた人員。生存者115名は救命艇とライフラフトで脱出し、隣接する補給船バンクストン号に救助された。
リグは36時間燃え続け、4月22日朝、5億6,000万ドルのリグが海の底に沈んだ。
その時点で、海底のBOPは作動していなかった。
People:ドン・ヴィドリンの判断と、その後の判断
ヴィドリンは事故後、業務上過失致死罪と海洋汚染罪で起訴された。過失致死罪は2015年に検察側が取り下げ、ヴィドリンは水質浄化法違反の軽罪に有罪を認めた。10ヶ月の保護観察、100時間の社会奉仕、5万ドルの罰金で決着している。2017年、3年に及ぶ癌闘病の末に69歳で死去した。
人を裁くのは難しい。45日の遅延と1日100万ドルのリース料。井戸を仕上げて次の現場へリグを動かさなければ、Macondoの累積コストは毎日積み上がる。ネガティブ圧力テストの結果は曖昧だった。曖昧な結果に対して、再テストを命じれば1日のロスとして数えられる。合格と判定すれば、進める。
ヴィドリンが選んだのは進める方だった。
BPの当時のCEOトニー・ヘイワードは、事故の数週間後に英国メディアに語った。
I’d like my life back. (私の人生を取り戻したい)
11人の遺族の前で出すべき言葉ではなかった。ヘイワードはその夏に辞任する。トランスオーシャンは事故翌年の社内向け資料で2010年を「史上最高の安全実績の年」と評し、批判を浴びた。事故前の時点で、同社の傷害率指標は業界トップ水準だった。指標が高水準だったことと、リグが沈んだことは矛盾しなかった。
ハリバートンは事故後、社内でセメント設計に関する2つのシミュレーション結果を破棄したことを後に認めている。法廷でBPと相互に責任をなすりつけ合う裁判が2013年から2014年にかけて続き、最終的に責任比率はBP67%、トランスオーシャン30%、ハリバートン3%と裁定された。
死んだ11人の名前は記録に残る。
ジェイソン・アンダーソン(35)、デール・“ババ”・バーキーン(37)、ドナルド・クラーク(49)、スティーブン・カーティス(40)、ゴードン・ジョーンズ(28)、ロイ・ワイアット・ケンプ(27)、カール・クレッピンジャー(38)、ブレア・マニュエル、デューイ・レヴェット(48)、シェーン・ロシュト(22)、アダム・ワイズ(24)。20代から40代後半まで。家族写真がドリルフロアのロッカーに残っていた。
Legacy:87日と616億ドル、そして組織の分割
噴出後の87日間、BPは複数の停止策を試みた。「コンテインメント・ドーム」、「トップキル」、「ジャンクショット」。海底1,500メートルの圧力下で動くロボットが、暗闇のなかで配管をつなぎ、セメントを打ち込む。すべて失敗した。
7月12日、新設計のキャッピングスタック(封圧装置)が海底のBOP上部に設置された。重量160トン超。事故前、深海ブローアウトを物理的に塞ぐ標準装備は存在しなかった。87日かけて、業界はそれを作った。
7月15日、流出が止まった。87日目。
並行して掘っていた2本の救援井(リリーフウェル)は9月にマコンド井に到達し、底からセメントを打ち込んで永久封鎖した。
被害は数字で残っている。流出量推定490万バレル、約7億8,000万リットル。汚染海域はピーク時に約18万平方キロ、東京都の80倍超。連邦漁場の36%にあたる23万平方キロが閉鎖された。湿地、漁業、観光、住民の健康。
BPの最終コスト計上は616億ドル(2016年公表)。そのうち米連邦政府および5州との和解は208億ドル。米司法省の発表によれば、内訳は水質浄化法に基づく罰金55億ドル、自然資源損害賠償81億ドル、州・地方政府への支払い59億ドル、そして既払いの諸経費。残りはクリーンアップ費用と民事訴訟による経済損害賠償である。
事故から3週間後、米内務省は鉱物管理サービス(MMS)の解体を発表した。MMSは海洋資源からの歳入徴収と安全規制を一つの組織で兼ねていた。その構造的利益相反は事故前から指摘されていたが、政治的に動かす力はなかった。事故が、政治的に動かす力を生んだ。
MMSは3つに分割された。歳入徴収はONRR(自然資源歳入局)、資源管理はBOEM(海洋エネルギー管理局)、安全規制はBSEE(安全環境執行局)。
2016年、BSEEは「ウェルコントロール・ルール」を発効させた。深海BOPには2つの剪断ラム(パイプ切断装置)の搭載が義務付けられた。ディープウォーター・ホライズンのBOPは1つしか持っていなかった。
業界は共同で「マリン・ウェル・コンテインメント・カンパニー(MWCC)」と「HWCG」を設立した。深海ブローアウトに対応するキャッピングスタックと回収船を、複数社が共同で備蓄する仕組み。1社単独では正当化できないコストを、業界共同体としては正当化できた。
ディープウォーター・ホライズンの残骸は、メキシコ湾の海底に残っている。引き揚げの計画はない。
学び
このプロジェクトの安全設計には、独立した4つの層があった。
- セメントによる地層とのシール
- ネガティブ圧力テストによる検証
- 井戸への流入を検知するモニタリング
- 最終手段としてのブローアウト・プリベンタ
「独立した」と書いた。これが教科書上の前提である。1つが壊れても次が止める。4つが同時に壊れる確率は、それぞれの故障率の積になる。十分小さい。
4月20日の夜、4つすべてが、同じ方向に倒れた。
セメントは推奨より少ない量で、推奨より少ないセントラライザで、自社テストで不安定性が見えていた配合で打設された。テストの異常値は、未検証の仮説で正常と判定された。井戸への流入兆候は、シフト交代の業務の中で見逃された。BOPの剪断ラムは、座屈したドリルパイプを切れず、バッテリーは充電が足りていなかった。
それぞれは、独立した判断の結果だった。だが判断は独立していなかった。
ロングストリングを選んだのは工期を縮めるため。セメント量を絞ったのは時間とコストを抑えるため。曖昧なテストを合格と判定したのは、再テストでさらに1日失わないため。同じ単一のドライバー、45日の遅延と1日100万ドルのリース料が、独立しているはずの判断のすべてを、同じ方向に押した。
スイスチーズモデルという。リスク学者ジェームズ・リーゾンが提唱した、多重防御の失敗を説明する図。チーズのスライス1枚1枚に穴がある。穴がそれぞれ違う場所にあれば、貫通しない。重なれば貫通する。
理論は、穴の位置は独立に分布すると仮定している。現実は違う。穴の位置を決めるのは設計図ではなく、組織の意思決定だ。組織がコスト圧力に晒されると、すべての層の穴が、同じ位置に寄っていく。
ディープウォーター・ホライズンの事故は、技術的失敗の連鎖として語られることが多い。だが技術的失敗の連鎖を可能にした構造は、組織側にあった。検査官は業界からの饗応を受けていた。安全規制機関と歳入徴収機関は同じ組織にあった。リグの所有者、運用者、専門業者の責任境界は、平時には明確でも、緊急時には曖昧になるよう設計されていた。
事故が、その構造を見えるようにした。
事故が見えるようにしたものを、事故の前に見えるようにしておく方法はあるか。多重防御を「同じ方向に倒すドライバーは何か」を問い直す方法はあるか。
問いは残る。MMSは3つに分かれた。BOPには2つの剪断ラムが入った。キャッピングスタックは業界共同で備蓄されている。一方で、2019年にBSEEは安全規則の一部を緩めた。緩めたものを後に戻した。安全規制は事故と忘却の周期を生きている。
別の言い方をすれば、次の事故を待っている。
出典・参考資料
- U.S. Chemical Safety Board「Investigation Report Volume 1」(https://www.csb.gov/assets/1/7/vol_1_final.pdf) — 事故の4段階連鎖(セメント/ネガティブテスト/流入検知/BOP)、BOPのドリルパイプ座屈とバッテリー不足の技術分析
- BP「Deepwater Horizon Accident Investigation Report」2010 (https://www.bp.com/content/dam/bp/business-sites/en/global/corporate/pdfs/sustainability/issue-briefings/deepwater-horizon-accident-investigation-report.pdf) — BP社の認めるネガティブ圧力テスト誤判定、ロングストリング採用経緯
- National Commission on the BP Deepwater Horizon Oil Spill and Offshore Drilling「Final Report」2011 — 大統領委員会報告書(“What could possibly go wrong?”の社内メール引用、設計判断の論点整理)
- U.S. Department of Justice「U.S. and Five Gulf States Reach Historic Settlement with BP」2015 (https://www.justice.gov/archives/opa/pr/us-and-five-gulf-states-reach-historic-settlement-bp-resolve-civil-lawsuit-over-deepwater) — 208億ドル和解の内訳、Clean Water Act 罰金55億ドル
- NOAA「Deepwater Horizon oil spill settlements: Where the money went」(https://www.noaa.gov/explainers/deepwater-horizon-oil-spill-settlements-where-money-went) — 自然資源損害賠償81億ドルの使途
- BSEE「Interior Department Finalizes Well Control Rule」2016 (https://www.bsee.gov/newsroom/latest-news/statements-and-releases/press-releases/interior-department-finalizes-well) — 2016年ウェルコントロール・ルール、デュアル剪断ラム要件、MMS解体の経緯
- Oceana「A Look Back to 2010: 87 Days Too Late」(https://usa.oceana.org/blog/look-back-2010-87-days-too-late-bp-finally-stops-deepwater-horizon-blowout/) — 流出停止までのタイムライン、キャッピングスタック設置
- The Conversation「BP paid a steep price for the Gulf oil spill」2020 (https://theconversation.com/bp-paid-a-steep-price-for-the-gulf-oil-spill-but-for-the-us-a-decade-later-its-business-as-usual-136905) — BP最終コスト616億ドル、長期影響評価
- Maritime Executive「BP, Transocean Officials Botched Safety Tests」2013 (https://maritime-executive.com/article/BP-Transocean-Officials-Botched-Safety-Tests-Witness-Testifies-20130307) — ヴィドリンの判断、刑事訴追の経緯
- Wikipedia「Deepwater Horizon」(https://en.wikipedia.org/wiki/Deepwater_Horizon) — リグ仕様、建造経緯、BPとの3年リース契約構造



