381m。102階。延べ700万人時。工期410日。総コスト4,090万ドル——予算内。
世界恐慌の底の年に着工し、13ヶ月半で完成した。当時の世界一の建築物。その記録は40年間破られなかった。
問題は、できあがったビルに入居者がいなかったことだ。
Mission:鉛筆を立てる
1929年8月、ジョン・ジェイコブ・ラスコブが記者会見を開いた。ゼネラル・モーターズの元重役で、民主党全国委員会の委員長でもあった資本家が「マンハッタンに世界一高いビルを建てる」と発表した。
背景にあったのは、1つの競争だった。
クライスラー・コーポレーションのウォルター・クライスラーが、自社ビルの建設を進めていた。319mの予定。ラスコブは「それを超えなければ意味がない」と考えた。設計チームへのブリーフィングは一言だったと伝わっている。「鉛筆を立てたような、細くて高いビルにしたい」。ブリーフィングとしては、珍しいほど明快だった。
公式の顔を担ったのはアル・スミス——元ニューヨーク州知事、元大統領候補。Empire State Inc.の社長に就任した。政治的なコネクションと高い知名度。許認可の取得から資金調達のプレゼンまで、スミスは政治家としての筋肉を使って動いた。
1929年10月24日、株式市場が崩壊した。「暗黒の木曜日」から大恐慌が始まった。
プロジェクトは止まらなかった。
Design:競争に勝つための200フィート
設計事務所は Shreve, Lamb & Harmon。主設計者のウィリアム・F・ラムが形を決めた。
設計の途中で、競争相手の動向が変わった。クライスラービルが当初の計画より高くなることが判明した。ラスコブは決断を下した——最上部に、飛行船の係留マストを加える。
この200フィートの追加で、最終的な高さはクライスラーを60m以上上回った。
飛行船マストは一度も実用に供されなかった。ニューヨーク上空の気流は不安定すぎた。飛行船を繋ぎとめるために地上では数百人が綱を引く必要があるとも言われ、当時のドイツ飛行船の権威フーゴー・エッケナーは「まったく非現実的だ」と切り捨てた。後世から見れば滑稽な追加仕様だが、その200フィートが「50年間世界一」の余白を生んだ。
設計と施工は同時並行で進んだ。着工時点で図面はまだ完成していなかった。基礎工事を始めながら上層の設計を続ける。現代のアジャイル開発に似た進め方を、1930年の建設現場でやっていた。
Execution:ビームに名前を書く
総請負業者はスターレット・ブラザーズ&エーケン。このプロジェクトを成功させた実務の核だった。
ポール・スターレットが設計した工程は、工場の論理を建設現場に持ち込むものだった。
核心は資材のトレーサビリティだった。ペンシルベニア州の製鋼所を出た鉄骨ビームには、それぞれ行き先が刻印されていた。「何階、建物のどの方向、何番のデリック用」——現場で分類する必要がない。出荷から約80時間後には所定の位置に収まっていた。
現場では各フロアに仮設の軌道レールを敷き、資材を水平方向に移送した。デリック4基が垂直搬送を担い、軌道レールが水平搬送を担う。材料が止まらない仕組みを、オフィスビルの骨格の上に作り上げた。
このシステムが生んだペースが、週平均4.5階だった。
地上200mを超えた鉄骨の上でも、作業は続いた。安全ネットはなく、手すりもなかった。幅30cm程度の鉄骨の上に立ち、下には路面電車と馬車が行き交うマンハッタンの街。鉄骨同士を固定するリベットは、火で赤く熱したものを下からバケツで受け取り、所定の位置に叩き込む。落とせば地上に落ちる。それが高さ300mまで繰り返された。
1930年8月14日、この日の作業員数は記録されている。3,439人。延べでは700万人時。多くはアイルランド系・イタリア系の移民労働者で、カナダのカナワケ居留地から来たモホーク族の鉄骨鳶も含まれていた。高所作業に強い体質と度胸で知られ、後に北米の高層ビル工事の主力となる集団だ。
大恐慌が、この建設を皮肉な形で助けた。失業者があふれていたため、労務費は低く抑えられた。建設資材の需要も落ちており、材料コストも下がっていた。景気が良ければ同じ計画でもコスト超過していた可能性がある。4,300万ドルと見積もっていた総コストが4,090万ドルで収まったのは、運の構造的な部分があった。
1931年4月11日、鉄骨構造が完成。予定より12日早い。5月1日、ハーバート・フーバー大統領がワシントンのホワイトハウスからボタンを押し、ビルの照明が点灯した。開業式典。ルーズベルト(当時のニューヨーク州知事)は現地の式典に出席し、86階の昼食会に同席している。
建設中の公式死者数は5名。当時の大規模工事としては異例に少ない数字だった。
People:空っぽのビルに座る前知事
アル・スミスは1931年5月1日の開業式典に出席した。
世界一の高さを誇るビルが完成した。しかし86階より上に入居者はほとんどいなかった。開業時の実質入居率は23%。「Empire State Building」はすぐに「Empty State Building(空っぽのステートビル)」と呼ばれ始めた。
スミスは毎日この建物に来た。テナントのいないオフィスフロアの廊下を歩き、見物客に挨拶した。やがて展望台が安定した集客を見せるようになった。開業初日から4日間で1万7,000人が訪れた。
1935年、ビルは年100万ドルの赤字を垂れ流していた。だが同年、展望台の年間観光収入も100万ドルを超えた。テナント賃料がゼロでも、観光で最低限の収益は出せる状態になっていた。
ラスコブは投資家として計算できた。需要が戻れば賃料収入が乗ってくる。観光収入がその間の損失をある程度埋める。彼の読みは長期的には正しかった。黒字転換は1950年代に入ってから。開業から約20年後のことになる。
構造計算に誤りがなかったことは、1945年7月28日に証明された。B-25爆撃機が濃霧の中を低空飛行し、78〜79階に激突した。14名が死亡した。火災が起きた。それでも建物は倒れなかった。補修後、数週間で通常営業を再開している。
戦時下に製造された軍用機が超高層ビルに衝突する、という想定は設計書にはなかった。だが構造の余剰能力が、想定外の衝撃を吸収した。
Legacy:どこまで続く世界一
1972年、ワールドトレードセンターが完成し、エンパイアステートビルは世界一の座を失った。40年間保ち続けた記録だった。
2001年9月11日、ワールドトレードセンターが崩壊した。その日から2014年まで、エンパイアステートビルは再びニューヨーク最高のビルになった。建設から70年以上が経過した建物が、一度退いた王座に戻った。
現在、年間訪問者は400万人を超える。展望台チケットの価格は数十ドル。数千万ドル規模の観光収益を生み続けている。
1931年、誰も展望台でここまで稼げるとは思っていなかった。世界一の高さを維持するための飛行船マストが観光の呼び物になり、その観光収入が20年間の赤字を耐えさせ、最終的に建物を生き残らせた。機能しなかった設備が、経済的な意味で建物を救った。
学び
エンパイアステートビルのプロジェクトは、建設管理の視点では史上まれな成功だった。410日で完成。予算内。計画より12日早い。週4.5階というペースは、現代の超高層ビル建設と比べても遜色がない。
なぜこれが可能だったか。スターレット社が資材の流れを設計し、鉄骨ビームに目的地を刻印し、各フロアに軌道レールを敷いた。材料が止まらなければ、工事も止まらない。1930年の建設現場で実践されたジャスト・イン・タイムの原理だ。
一方で需要予測は大外れだった。1929年の計画時には、大恐慌はまだ始まっていなかった。だが計画発表の2ヶ月後に株式市場が崩壊した。入居者がいなくても工事は続いた——止める理由がなかった。埋没費用の問題ではなく、止める判断の根拠がなかった。
ラスコブが飛行船マストを追加した判断は、工学的には失敗だった。実用されることはなかった。だがその200フィートが「50年間世界一」を作り、世界一であることが観光客を集め、観光収入が20年間の赤字を補い続けた。
間違えた選択が正しい結果につながることがある。正しかった選択が間違った結果につながることもある。プロジェクトの成否を判定する時期と指標をどこに設定するか、という問いは、今も答えが出ない。
出典・参考資料
- Empire State Building 公式サイト「History」(https://www.esbnyc.com/about/history)
- Britannica「Empire State Building」(https://www.britannica.com/topic/Empire-State-Building)
- HISTORY「How the Empire State Building Was Built in Record Time」(https://www.history.com/articles/empire-state-building-construction)
- Bluebeam Blog「How the Empire State Building’s Construction Remains a Wonder」(https://blog.bluebeam.com/empire-state-building-construction/)
- Kyle Nitchen「Delivering The Empire State Building: Lean Construction Principles in Action」(https://kylenitchen.substack.com/p/delivering-the-empire-state-building)
- Propmodo「Why the Empire State Building Was Largely Vacant in its Early Years」(https://propmodo.com/why-the-empire-state-building-was-largely-vacant-in-its-early-years/)
- Wikipedia「1945 Empire State Building B-25 crash」(https://en.wikipedia.org/wiki/1945_Empire_State_Building_B-25_crash)
- Simple Flying「Empire State Building Airship Mooring Mast History」(https://simpleflying.com/empire-state-building-airship-mooring-mast-history/)



